ギュッと五臓六腑

それでも石のタワーを建てなければ

この時代に生まれて良かった、という牧歌的な感情をポケモンGOのせいで抱いている。小学生の頃の自分に教えてあげたいよ、まさか他人とリアルに「あっちにピカチュウいたよ」って会話をするなんて。「ポケモン捕まえに行きたいよー」って部屋の中でそわそわするなんて。ポケモンを捕まえに行きたい、っていうこの気持ちは何なの?ぶるぶるっ。

当然みたいに皆ポケモンを探している。自宅近くのポケスポットを辿っていて、この公園はイスとテーブルが揃ってていいね/猫が常に3匹くらい滞留してる広場がある!/この『インベーダー』って名前の場所どこ?、って発見するのも、もうなにもかもがいちいちたまらん。

でも今もし私が小学生だったら、スマホを自由に持てる環境……つまり家庭の貧富とか教育方針、だったかは怪しくて、だから、この時代に大人でいれて私はラッキーだった。大人は最高で、労働をすれば自分の好きにお金と時間を使える。私の『好き』は音楽と本とダイビングと、あとは明文化できないくらいに当たり前になってしまっているいくつかの楽しみと。仕事終わりに食べるドーナツとか。

子供時代って一体どうしてあんなにクソだったんだろう?何をどう頑張ったって親と学校と『未成年』という事実に制限されてしまう。あの時代に戻りたい、なんて一度も考えたことがない。

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6月から7月の、沖縄で過ごしていた一ヶ月のうちに、中学生の頃からのインターネットの友人に会った。実質10年来の友人になる彼女は当時からずっと沖縄住まいで、インターネットで交流は続けていたけれど私が沖縄に行くチャンスも特になく、対面では初めましてだった。照れた。照れたけどまったく違和感なく話せる!すごい!

もちろん私も相手もみずからの持てる限りのコミュニケーション能力をフルに発揮しての結果だったのだとは思う、思うけど、こんな、えー?まったくもって友達じゃん。また明日も会いたいよーとなって困った。私の本拠地は東京なんだから会えなくて切ないのは困るよ……の嬉しい悲鳴。

同じ『イラスト描き』としてインターネットで出会った彼女は今、週末デザイナーとして、とにかくイラストとかデザインってやつに関わりながら生きていて、私も描き続けていれば、ともすればこうなれていたのかなと、その裏にある多大なる汗と涙を無視するようで失礼ながらも、違う世界線の自分を見ているみたいにして彼女を眺める。

そして、私としゃべくりながらも息をするみたいに手を動かして制作をする彼女を目の当たりにして、私の背筋はピンとなってしまうのだった。うわーだらだらしてらんねぇな、レザークラフトで作りかけの財布を完成させなきゃ、とか、ふと思いついて野放しにしてる思考をちゃんとどこかに文字として書き留めなきゃ、とか。この世界線の私にできる、微力ながらも世界のためになるような行為を積み重ねていかなくては。賽の河原みたいなこの世で、それでも石のタワーを建てなければ。

彼女の知り合いがハンバーガー屋をちょうど開店するとのことでプレオープンの場に同席させてもらったら、ああここもまた十分に上等な賽の河原のタワー建設が繰り広げられている場所だと感じてすっかりお気に入りのお店になってしまった。店主さんにもお気に入られたみたいなので私は嬉しい。

大人にならなければ沖縄まで彼女たちに会いに来れなかった。子供のままだったら私たち対面できてなかったもんね。生きてりゃ良いことあるでしょって思想の押し付けにはひとえにバカと言い続けていきたいけれど、うわーあの時死ななくてセーフだったな、と胸をなでおろせる機会の存在および人との出会いについては今後も見失いませんように。

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7月の、LIBROの新譜のリリースパーティ。数週間前からタイムラインにオフィシャル告知ツイートが出回っていて気配は察知してたのだけど、件の新譜をなんだかんだ買ってなくて聴いてなくてなんだかんだとは何かというと大変貧しい価値観をここで吐露してしまうことになるので恥ずかしい、恥ずかしいが、近頃はCDに3000円とかitunes音源に2400円とかを払うのを渋りがちなのだ。しかしアナログ盤になら3400円を躊躇なく出せるし、ライブのチケットになら8000円もポンと出す。いやポンはちょっと軽快すぎるけども。

加えて、LIBROについてのはっきりとした知識も全然私に蓄えられていなくて、知っているのは田我流とカイザーソゼの『アレかも、、、』(田舎特有のカップルの穏やかな有様がたまらん名曲)のトラックの作者がLIBROなことぐらいで、そのトラックがめちゃくちゃ私好みなのは確かにそうだけどさぁトラックが良いだけならそれは音源でいいじゃんね、いやでも……アレかも、、、どうしよう……の堂々巡りでライブに行くことすら渋ってしまった。チケット、2500円なのに。先ほどの自分理論と既に矛盾している。

でも本当は値段の問題ではない。ヒップホップという未知なる泥沼音楽世界、特にサンプリング文化ってやつがやばくて、掘れば掘るほど出てくる、そんな果てのないものに恐る恐る足を突っ込んで以来、彼/彼女たちの言葉の強さはライブでこそ味わうものだと理解したことを思い出して結局ライブに足を運べば、一曲一曲がちゃんと際立っていて、音源を聴いていない人間でもその場で身体を揺らせるような空間で、行って正解だった。バンザイ。

最初の、漢a.k.a.GAMIとLIBROとのセッションで特に極まって、初めて生で聴く漢のもごもご絶妙に耳を傾けてしまうライミングもさながら『マイクロフォンコントローラー』という曲にときめく。


LIBRO/マイクロフォンコントローラー  ZAI10

この世に何百万、何千万どころではなくこれからももっともっと増える音楽たちの中からたったひとつを、私は私の人生という、地球の誕生日から現在までの期間のうち何っ…何分の一なんですか?、って感じの限られた時間で見つけ出していく。

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夏だからか知らないけどとにかく生活を改善したくて、枕をあのホテル仕様のふわふわなやつに変えたいとか、傷んできたタオルを取り替えたいとか、傷んできた服や下着を取り替えたいとか、靴擦れの危険のある靴を調整して履けるようにしたいとか、そういう欲望とは皆さんどうやって折り合いをつけて生きているんですか?人生をまだ一回しか生きたことがなくて、そのへんの具合がわからない。