ギュッと五臓六腑

一点の曇りだって無かったよね

ディズニーランドで地面に落ちたポップコーンをついばむ鳩を見て「可愛い!」と嬌声を上げる一秒前の私の後ろで「鳩キモッ」と顔をしかめて言った女の子、あの子と私の違いは一体何なのだろうとずっと考えていた。

できることなら私もあの子みたいになりたかった、あの子“側”に行きたかった、“普通の”人間になりたかった。それが無理だと決定的にわかった夏だった。ふん。別に良い。誰かにとって楽勝なことが他の誰かにとって無理なこと、というのは往々にしてある。

排泄、風呂、鉛筆を削ること、傘を盗むこと、何もかもすべて誰かにとっては楽勝で誰かにとっては無理なのだ。

こんなふうに、日々の中で抱える気持ちをいちいちしたためなければ解消できないのもマイノリティだと知っている。カフェで沈痛な面持ちで友人にスピーキングで吐露すればOKすっきり明日からまた頑張りましょうって感じの人間になりたかったけど、それももう無理だとわかった。話し方をどうこうすれば、とかそういう問題ではないのだった。

おまえはそっち側だし私はこっち側で、そのラインは曖昧だけど目をこらせば見えるものだったのだ。

◇ ◇ ◇

自分の家庭環境について胸を張って「良好です!」とは言えないままでいたけれど、そんなの到底及ばないくらいの「虐待されてました!」という女の子と知り合って仲良くなって、ふと考え込んだ。
どうしてこの子はこんなに傷つかなければいけなかったのか?
話を聞く限りその子の両親は傷つける相手が欲しいがために生殖したわけでもなさそうで……って、問題の多少はあれどこれはきっと私の両親にもあてがうことのできる仮定である、と気づいてぞわぞわ。

うわ~私はこの子に過去あるいは現在の自分を投影したいがために仲良くしちゃってたりするの?

しそうだな。そういう文脈の中で生きてきたのだ。

私の父も、母親が入れ代わり立ち代わりのなかなかハードな家庭環境だと聞いている。
あれは私がまだ実家にいた頃の、ある深夜、父と母がいつものしょうもない理由で口喧嘩をした後だった。私は慰め役として母の愚痴を聞いていた。まだ自我のない幼少期時代の父の写真を見せてもらったことがあってね、と語る母。
「あんなひどい環境で育っていなければこんなに可愛い笑顔を今も見せていたはずなのに、と思ったの。」

おいおいあんた“可哀想”で結婚を決めたのかよ……。と、批判ができないくらいには、私もその“可哀想”に弱い傾向を引き継いでいる。私はたぶん今、虐待を受けていたその女の子に私の姿を重ねている。母が父にしてあげたかったように、私も私を救ってあげたいのだろう。でもそんな投影は身代わりでしかなくて、どうせ失敗するのよ、馬鹿ねぇほんと。

私は自分を救う本当の方法を知っている。それは突然知り合った被虐待経験ありのアダルトサバイバの話を聞き慈悲深く説教を垂れお礼の言葉をもらうことなんかではなくて、父と母から、私のための中出しセックスをしたあの日に正解判定をもらうことなのだ。ピンポーン! あの着床は正解でした。あなたを産んで良かったです。ねぇ覚えてるでしょ、一緒に踊った“あの9月”のこと。一点の曇りだって無かったよね?


Earth, Wind & Fire - September

Ba de ya - say do you remember
Ba de ya - dancing in September
Ba de ya - never was a cloudy day

―September / Earth,Wind & Fire


去年の冬から住み始めたこの部屋の大家のおじいさんは、引っ越しの挨拶に行った時、「春になったらここに咲く桜が綺麗でね」と教えてくれた。あんなに春が待ち遠しい冬は初めてだった。
春になって確かに桜が綺麗で、今はもちろん散ってしまったけれど、匂いも色ももう私の一部。そして、あの時まだ茶色い枝ばかりだった桜の木を見上げていた大家さんの目尻の皺に滲む優しさについても、もう私の一部。

あと、朝一でいそいそと観に行った映画『ワンダー・ウーマン』が映写機の不調とやらで上映中止になり、ヤケになって散歩した平日午前、玉川の河川敷、あの夏の太陽を反射した水面のキラキラも、もう私の一部。あー『ワンダー・ウーマン』マジで観たかったんだけどな!