あの、すみません、7ミリメートルのシャープペンシルの芯はどこに売っていますか

文房具屋でボールペンを吟味していると、視界の外から、眼鏡をかけた小学校中学年の男の子が話しかけてくる。

「あの、すみません、7ミリメートルのシャープペンシルの芯はどこに売っていますか」

瞬時に、電車の中で独り言をぶつぶつ呟くタイプの人間と隣り合ったときの緊張を感じたけれど、あ、これ、店員と間違えられてるんだと思いつき、それでもまだ地続きの動揺に「私、店員じゃないけど大丈夫?」と尋ねてしまった。

大丈夫かどうかを判断するのは彼ではなく私だ。

あわあわ焦る彼を思わず三日月型になった目で見つめながら「ちなみにシャーペンの芯はここで、7ミリはこれとこれと」と案内する。

絞り出すみたいな声で「ありがとうございます、後は自分で……」選びますから、と続けたいのに言葉が出てこない彼は予想だにしていない展開にてんてこまいで、これ以上困らせるのは不本意、「うん、選んでね、じゃあね」と言い残して私は去る。


「7ミリのシャーペン」ではなく「7ミリメートルのシャープペンシル」と発声した彼は昔の自分みたいだった。自分にもああいう、物事をとにかく正しく行おうとした頃があったな。ノートのマス目から字がはみだしてはいけない、集団登校の決められた順番を守らなければならない、学校には遅刻してはいけない、信号は手を上げて渡らなければいけない、黄色い帽子をかぶらなければいけない、グラウンド一周は休まず走らねばならない、掃除の時間をさぼってはならない……。

自分だけで完結する物事ならそれでよかった。でも「家族は仲良くあらねばならない」は無理だった。私だけではどうにもできない問題だった。私はお母さんとお父さんの子供で、しかし、子供の存在を抜きに、ひとりの男とひとりの女として喧嘩をする両親、それをどうして私が制止できただろう?


筆でピッてやった時の飛沫の飛び方が気に入らないなら全部書き直すみたいな繊細さは今でも自分の中にある。もう随分と鳴りを潜めてしまっているけれど、確かにあって、見つけた時には条件反射でげんなりテンションだだ下がり、ああのらりくらりと生きていくことはなんと難しい!
利発そうなあの男の子もいつかそれに気づくのだ。現実がいつだって自分なんかでは及ばない大きな力で動いていることを思い知るその時に、無力さに打ちひしがれるあの子を「仕方ないんだよ、君が悪いわけではないんだよ」と慰めてくれる人間がどうかいてくれますように。


ところで私の小学生時代はシャーペン禁止で鉛筆のみOKだったのだけど最近はそうでもないのか。しかも7ミリの芯を欲しがる小学生、何者だろう、マークシートのテストでも受けるタイプの高学歴小学生なのかしら。