ギュッと五臓六腑

メンヘラキチガイサブカル女の大森靖子が結婚と出産をして書いた曲、『愛してる.com』

大森靖子の『愛してる.com』という曲、なんかいいなと思ってよくよく調べてみたら亀田誠治がサウンドプロデュースということでなるほどなるほどって納得したんだけど、何度も聴いてたらウワこれを大森靖子が書いたの?って感動がじわじわ。


大森靖子「愛してる.com」MusicClip

(MVについてはこの無邪気な女の子たちの「愛してるよ」ボイスが被せられてるのがちょっと……。恥ずかしいからって躊躇せずに「好き」じゃなくて「愛してる」っていえばよくない!?っていうメッセージなのか、はたまた単に女の子たちをキャッキャウフフさせたかったのか。女の子たちの「愛してるよ」が強すぎて大森靖子の声がBGMになってしまうんだよなぁ。AppleMusicで聴くとよろしい。)


大森靖子さん、一般的には「メンヘラキチガイ女がサブカルを盾に音楽やってるぞ」or「サブカル女がメンヘラキチガイを盾に音楽やってるぞ」or「メンヘラキチガイサブカル女が音楽やってるぞ」という批評が付きまとっているみたいで不幸な方なんですよね。

「メンヘラキチガイ(笑)」、人間はみな等しくなんらかの種類のキチガイだというのは私の知っている限り少なくとも80年前には夢野久作が『ドグラ・マグラ』で教えてくれてるはずなのに本を読まない無知なバカどもがさ~そうやってさ~「自分だけは正常だ」と思いながらニヒルな笑みを浮かべているみたいなさ~~~~。一度でも創作(その程度の大小に関わらず)をし他者からの批評(良い悪いに関わらず)に晒された者であれば、彼女のブログの苦悩成分はわかるはず。神様から配られた自分の手持ちのカードがちっぽけすぎるせいで感じる理不尽さとか、それでも途方もないくらい長い長いこの人生の合間合間で私にだけ可能な表現が見つけられた気がする瞬間の鳥肌とかの激しい浮き沈み。一歩ずれるたびに「死にたいなぁ」と「生きたいなぁ」を往復するみたいな、ギリギリの状態で生きる期間ってたぶん遅かれ早かれ誰だって経験するものなのに、経験したのに忘れてしまったり、経験したのに立ち直り方を間違えてしまったり、まぁ及第点としてまだ経験してない場合もあるだろうけど、とにかく、他者の憂鬱を嘲笑する浅はかなやつらに悪く言われた誰かが傷つくのは外から見ててもムカつくよねぇ。

キチガイだって言われながら、私を好きでいてくれる人たちまでキチガイだって言われて、私の名前を呼んだ人が嘲笑われたのを見せつけられながら、ガン飛ばして心ぐちゃぐちゃになりながら歌ってしまって、音楽をそんなものにしたくなかったテレビ番組収録時、一番私に寄るカメラマンの方が、私からいい表情を引き出そうとすごい笑顔で頷きながらとても重いカメラをかまえて動いてくださっていて、ああ、ちゃんとこたえなければ、なるべく最強な私を今すぐつくらなきゃ、私は最低なことをしている、感情に流されちゃダメだ、こんな風に仕事してくれる人がいる、私もちゃんとプロの仕事をしなきゃ。たくさんの人のちょっとずつのテキトーで、ミュージシャンの人生なんてすぐペチャンコだけど、それまで積み重ねてきたこういう人の一個一個の素晴らしい仕事を無駄にしちゃいけないと改めて思った。

――謝罪 : あまいしね【コピペ推奨】

「サブカル(笑)」に関してはもう死語で、だいぶ前からサブとメインの境界線はなくなりました。


さてそんな大森靖子さんが結婚と出産と育児を経て作ったのがこの曲。超ハッピーな歌! 彼女が、それらを通して、少しでも「この世も悪くないな」と思えたのなら、私も彼女と同じように「この世も悪くないな」と思える気がする。

彼女自身が今ハッピーなのだろうなと私が確信できたのが、歌詞の

はじめて 朝がうれしいの

――『愛してる.com』/大森靖子

という部分。とにかく例の“ギリギリの状態で生きてる期間”には朝が怖くて怖くて仕方ないものだから。逆に、朝がうれしく思えるのならそれはその瞬間に人生が大成功してるってことなのだ。呼んでもいないのに東の空から上ってくる朝日と、突き放してもいないのに西の空に沈んでいく夕陽を愛しく思えるというのは「今の自分は幸せである」と無意識の範疇ながら認識できているはずだと私は考えていて、だってそうでしょう、眠れないままの夜がほのかに明るくなって迎えてしまう朝と、何も成せないままなのに無理やりシャッターを下ろされるみたいな夕暮れが、私には何年生き続けたってとても恐ろしい気がするよ。

そしてこれは私が勝手に悶えているだけなのですけど、同じく歌詞の

家族で外食 ばったり会うとなんか照れるね

――『愛してる.com』/大森靖子

という部分、大森靖子さんが夫や子どもと一緒に歩いてる場面を想像してしまってこっちが照れる。


彼女の、結婚にも出産にも、救いを求めていたわけじゃないっぽい姿勢が大好きで、そのブログがね、言葉の宝石箱みたいでね、例えば結婚報告の記事でのこれとか。

私はこれまでの人生で、自分が結婚したいと思うに至る可能性を1mmも感じられなかったので、結婚生活の想像も全くしたことがなく、想像していたからといってその通りにはならなかったとは思いますが、
結婚生活は新鮮で、とーーーってもたのしいです。
そのなかで「2人の子供が欲しいね」という夫に、「うん、そうだね」と心から答えることができた自分にもびっくりしました。この人との子供がいる世界とか超ワクワクする!と思いました。

――ご報告 : あまいしね【コピペ推奨】

出産してしばらくした後の記事でのこれとか。

母親神話みたいに産んだ瞬間28年間培ってきたわたしのゴミ人間性が変わるわけないじゃないですか

――燃料ブログ : あまいしね【コピペ推奨】

女は結婚/出産しなきゃねっていう価値観が横行してなかなか皆さん暴走してるみたいだけど、そもそも結婚/出産なんかに価値はないし、そんな、漠然と結婚したらいろいろ楽になれる~出産したら人生が輝く~って、あんたを楽にするために相手の男に何十年もの人生を棒に振らせるつもりか?あんたの自尊心のために不整な環境に新しい生命を設置するつもりか?って自問自答をしないタイプの女性さぁ……。私は絶対に大森靖子さんのようにありたいよ。いつの間に「結婚/出産=他人に自分のアイデンティティを依存させる権利」になったんだろう。男も女もお互いが自立していて、そのうえで、この人といたらなんか楽しいなぁってなって一緒にいようねって約束が結婚じゃなかったのかしら。


大森靖子さんがこの調子で忙しいながらも制作活動を続けてくれたらなと思います。お元気そうで何より。結婚も出産も本当におめでとうございます。