ファック・ザ・ポリスな映画『ストレイト・アウタ・コンプトン』観てきた

映画『ジャージー・ボーイズ』は60年代にヒットした4人組ロックバンド『The Four Seasons』の伝記的音楽映画で、本編の最大の見せ場、「“大切な人の喪失”からの復活」という場面に私はいたく感動したのだけど、よくよく調べてみると確かにその喪失はあったけどそのタイミングでは起きていなかったということが判明、つまり史実の順番を入れ替えることでよりドラマチックに仕立て上げられていた。なんだよクソ。

でもそれを観た後にふつふつと沸き上がった「音楽って最高だよね」というハッピーな気持ちとThe Four Seasonsへのファン精神は映画での史実の不正確さなんて無視して今も私の中にいつまでも消えないのろしみたいにくすぶり続けている。

もしかしたらそのドラマチック仕立てが盛り込まれなければこのハッピーとファン精神は沸き上がりもしなかったかもしれない。つまり伝記的音楽映画に史実の正確さを求めることはナンセンスなことなのだと思いついて今に至る。面白ければOK。


さて、映画『ストレイト・アウタ・コンプトン』。FBIからテロリスト扱いされるほど危ういリリックを刻むヒップホップグループ『N.W.A.』の伝記的音楽映画。面白かった。OK。超OK。彼らの楽曲自体をまったく知らなかったから、初めて聴くのが映画館の音響でなんてラッキーだな程度の心持ちで足を運んだのだけど、ドキドキとハラハラとゲラゲラとシクシクがちゃんと用意されていてなるほど“歴代の音楽映画の中でNo.1の興行収入”。ヒップホップに興味無くても楽しめそう。


映画『ストレイト・アウタ・コンプトン』特別動画

でもファックザポリスとか歌えちゃうほどの怒りもとい被差別者意識を感じた経験が私には無くて、なんだろう、「そんなに怒るなよ~」と常に居心地が悪かった。実感が湧かないというか。どうしてもどこかスクリーンの向こう側の世界なんだよなあ。

シドニー空港で通路にスーツケースを置いていた私にソーリーと言いながら身体を避けてくれた白人男性が、3歩先のベンチに座る黒人カップルのスーツケースを蹴り飛ばして無言で歩いていった時、黒人の彼は白人の彼の背中を睨んで見送った。私驚いてしまって助けもせず叫びもしなかった/ただ恐くて逃げました/私の敵は私です(by中島みゆき)。在日日本人とかいう平和ボケしたタイプの人間。

映画で、物別れしていたアイス・キューブにイージーEが仲直りをしに行く場面。イージーEがアイス・キューブのソロ曲を褒めると「子供向けな曲だってラップでdisってなかったか?あ?」と凄むアイス・キューブに「実は俺、子供向けな感じって好きなんだよね」と返したのに私は笑ったんだけど、この場面に限らず、N.W.Aのメンバーが誰かに話しかけられる度に殺気を出して相手をいぶかしむのもそういう常日頃からの被差別者意識から来てるものなの?それとも映画特有の演出?いちいちあんなウィットに富んだ返しをしないと話すらしてもらえない感じ……。


で、鑑賞直後は「N.W.A、格好いいのはわかったけど楽曲自体は強すぎて好かないわ……」と熱気に当てられてげんなりしてしまったのだけど、Apple Musicで彼らの曲を漁ってみたら全然聴けて不思議。英語に疎いおかげで歌詞も気にすることなく聴ける(←悲しい)。洋楽ヒップホップいいじゃんいいじゃん!Dope Man超かっこいいじゃん!結局「音楽って最高だよね」というハッピーな気持ちとN.W.A.へのファン精神が沸き上がったのでオールOK。


N.W.A. - Dope Man


映画中でもよく使われる、例えば「それめっちゃドープじゃん」という台詞での『ドープ』は私にとって初めて耳にする言葉で、まあ『ファンキー』とか『ロック』とか「格好いい」のヒップホップ界隈のスラングかなと推定しながら観ていて、それで合ってはいたんだけど改めて調べたら「意味:麻薬」とも書いてあって、こういうところにまで麻薬が関わっているんだねと笑った。何をどうしたらそれを格好いいって意味で使おうと思うんだろう。