心配はひとりでしてください

飲み会に行ってるはずの旦那と連絡が付かなくて、インターネットの届かないところにいるのかな/それにしては電話にも出てくれないな/明日は朝から予定があるはずなのにこんな遅くまで出歩いててどういうつもりなわけ?/クリスマスの夜にちょうど連絡つかないってことは浮気かな/クリスマスに浮かれている、あるいは鬱屈している人間の暴力に巻き込まれたりしたのかな/今どこか寒くて冷たいところに倒れている?/そういう他人からの理不尽な暴力性からは生きてる限り逃げられなくて虚しいな/行方不明者の家族が警察に通報するタイミングについてのニュースを齧るたびにもっと早く通報したれやと管を巻いてしまうけど、いざ当事者になってみると確かに躊躇があるよな……みたいに、ひとつのおぼろげな《心配》の種が芽吹いたら最後、あとは心配の大きな大きな塊が雪だるま方式で出来上がっていくのを止められなくて、果てには、結婚したってこういう心配事からは逃れられないし婚姻に意味なんて無かったのでは?とすら思ってしまい、婚姻には、なにか、他の事象では代替の効かない、尊さを持ち合わせた意味があるのだという可能性について諦めきれていない自分に気づいて少し可笑しさすら込み上げる。

あっこれが婚姻の意味かもと見つけたつもりになった瞬間、でもまぁこれはお互いの心持ち次第で婚姻関係を結ばなくても実現できることだよなと醒めるのが常なのに、まだ諦めていないのだった。


心配や不安が心を波立たせる時、どうにか発散しようと、優しい人に思慮の浅い愚痴(『旦那が帰ってこないよ~』)をぶつけて受け止めさせたくなるけど、ぐっとこらえるべきだと自分に言い聞かせる。LINEを開くなっつーの。"心配はひとりでしてください"。映画『ぼくたちは上手にゆっくりできない。』で一番好きな台詞だ。もちろんひとりで抱え込むのが適切ではない場合についても知っているけれど、とりあえず、この台詞の持つ、言葉としての絶対的な強さが私を慰めてくれる。
はずだったのに我慢できなくて何人かにメッセージ送ってしまってごめんなさいいつもありがとうございます。


旦那との連絡は結局取れたけど、心の動きが激しかったみたいで、理由のなくなった狼狽がまだ続いている。これをパブリッシュしたら少しは落ち着くかなあ。