私は赤ちゃん製造機

シルバーウィークに自分の実家に来て二日目の朝、膀胱炎になっていた。そんなに実家が嫌か。ストレス耐性が無さすぎるだろう、と笑った。学生時代の後輩にそれをLINEで報告すると「膀胱炎先輩」とあだ名をつけられた。「膀胱を暴行」とも言っていた。ゲラゲラ。

その日の夜、あいかわらずの、母と兄の言い合いが起こる。怒鳴り声が響き渡るリビングで私の存在を不自然でないものにするには、言い合い以外の何かに集中しているフリをするのが一番だった。コーヒーの、カップに口をつけてゴクリと一口だけ飲む。漫画を手に取り、下を向いて読む。一口だけ飲む。漫画を読む。一口だけ飲む。ふと気づくとコーヒーが喉を通る瞬間にひっかかりがある。ヒリヒリと。
言葉の殴り合いはますます白熱していて、このリビングで私だけがじっと黙っていて、喉が緊張しているのがわかる。こんなふうにストレスは発露するのかと感心する。
その夜から発症した喉のひっかかりはすぐにイガイガをともなう痛みになり、腫れて、息が詰まり、熱が出る。

三日目の朝、体調が悪くても関係ねーよとばかりに人に会い、むしろ体調の悪さを自慢する。膀胱炎と喉の炎症の併発。ゲラゲラ。

昔は、漫画も映画も小説も、大量の作品にまぎれたマイナーな良作を見つけることこそが至高なのだと思春期らしく慧眼への憧れを胸に抱いていたけれど、最近は、ポピュラーなものをなるほどこれは大衆に受けるだろうなと確かめることも悪くないのだと気付いてきた。例えばまだ親しくない人と、漫画の話題で「ベタだけど私はアレが」を枕詞に語ること。例えばラジオ『ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』の映画批評のコーナーで語られた作品を観て、字多丸さんの批評に対する批評をすること。そういうことに楽しみがあるのだ。
同様に、膀胱炎はポピュラーな病気なので、たくさんの人と語れて楽しい。……同様かな?

四日目、富山から東京に戻る日、の、明け方。眠っていたのに喉が苦しくて起きて、寝付けなくて、窓の外の空気が黒から青になっていく。朝になるまでに少しでも治りますように。家族に、特に母に喉の不調を勘付かれたくない。実家に帰ってきたせいで体調不良が重なったのだと彼女に気づかせたくない。ギュッと目をつぶっては焼けつくような喉から息を吐く。嘔吐の気配があるけど我慢できる。

実家の家族と会うのは一年ぶりで、私が彼らに歓迎され、好かれているのが嫌でもわかる数日間だった。富山に来るのが久しい私をもてなそうと、行きたいところを尋ねられた。着るのに/食べるのに/寝るのに不便の無いようにしてくれた。いつ東京に戻るのかを尋ねられて、答えれば悲しそうにされた。
彼らは私を好いていて、私も彼らを好いていて、だけどそれでも、一緒に暮らすには人間性が違うのだと、違いすぎていたのだと、眠れない布団の中で歯をくいしばる。この家にいる人間の中で、私だけが、私をこの家に置いてはいけないと考えている居心地の悪さ。

互いを言い負かそうと言葉を投げつけ合う母と兄。彼らにとっての相談とは、自分の主張を相手に完璧に受け入れさせることであって、妥協も譲歩もはなから頭にないようだった。

飼われている犬を撫でる私を見て、「そいつ東京に持っていっていいぞ。言うこと聞かないしうちにはいらん」と笑う父。彼にとっての愛情表現なのだとわかっていながら、私はしんとなる。ちょうど一年前、旦那と籍を入れる直前に、旦那の両親と私の両親と旦那と私の六人で顔合わせをした時の父の言葉を思い出す。「こんな言うこと聞かない娘より、飼っている犬のほうがよっぽど可愛いんですわ」。どうして素直に好きと言えないのか。どうして素直に伝えられないのか。そうして何度も何度も私や母や兄たちを傷つけていることにどうして気づかないのか。

滞在中の何日目かに父が誇らしげに私に言った「実家は良いだろう?」に、私はあいまいに口角を上げることしかできなかった。どんなふうに言い繕うこともできるけど、既に喉は私の発声を阻害するほどまでに痛み出していたし、膀胱炎の、排尿のたびの染みるような痛さも確かにそこにあった。その、ストレスによる体調不良がすべてを物語っていた。この家は私の居るべき場所ではないのだ。

生まれたばかりの私には親が必要だった。空腹の時に食べ物をくれる人。排泄をした時に片付けてくれる人。泣いた時に慰めてくれる人。私は私と血縁関係にある父や母にそれを担わせて育てられてきた。

私が自我を持ち始めてから、結婚して実家を出るまでに至る記憶。父に、彼が読んでいる最中の新聞を読みたいと申し出れば即座に渡してくれたこと。母が、私の食べ物の好き嫌いを責めずに取り分けてくれたこと。小学校に上がったばかりで、近所の男の子に泣かされた私を見て、兄たちがその子に怒ってくれたこと。私が父や母、兄たちを好きといえるのはその記憶たちのおかげであり、その記憶たちだけが理由で、きっと、そこに彼らの本質的な人間性は含まれていないのだ。最初はどうだったのかわからないけれど、とにかく、今は。

こんなふうに、家族とは、血縁が繋ぐ集団ではなく、一緒に暮らした記憶が繋ぐ集団なのかもしれない。

ところで、義母に「これから赤ちゃんを産む身体なんだから」と葉酸サプリメントなるものを勧められた。主目的はデトックスだそうで、私の実家に喫煙者がいるので、受動喫煙してしまったぶんを綺麗にしたい、と。デトックス。デトックス。デトックス?????無駄だと思って断った。本当にデトックスが可能であるなら肺ガンで死んでいく喫煙者は飛びつくはずで、現実そうなってはいないようだし。
結婚をするのが初めてでわからないのだけど、世の新婦たちはこのように産むための準備として効果の有無に確証のないサプリメントを飲むような/飲まされるような努力をするものなのだろうか。義母にとって私は赤ちゃん製造機として欠陥品に見えているのだろうな。

サプリメントの飲用を断ってしまったために、障害のある子どもが生まれてまった場合には「サプリメントを飲まなかったからだ」と責められるかもしれない。健常な子どもを産んだ場合にも「もしあの時サプリメントを飲んでおけばもう少し身長が高かったかもしれない」などと言われてしまうんだろうか。逃げ場も救いもない。ブルブルッ。

もし血縁などではなく、一緒に暮らした記憶が家族をかたちづくるのなら。義母が示したように私の身体が子どもを産むのに適していないのなら。子どもは産まずに、養子を取るのでも構わないと思った。血縁の有無は関係なく、旦那と私と1人(あるいは2人、3人、もっとかもしれない)の人間が一緒に暮らせばそれだけで楽しそうだし、なんというか、世界のためになれる気がするのだ。うんうん。世界のためにならなかったとしても旦那と私とその子が楽しいならオールオッケーな気がする。
「人は、自分より先に死んで悲しいに決まってるペットを、それでも飼うんですよ」
――『ディスコ探偵水曜日』/舞城王太郎 より
喉の痛みに耐えながら迎えた出発の朝、東京に送る段ボールの中には、手元に無いままずっと気がかりだった愛読書を詰め込んだ。結婚前に使っていた実家の私の部屋は兄の書斎として使われるようになったらしくて、置いたままで触られていない私の所有物を整理しにまたここに来る必要がある。その作業が終わって、私がこの家で生きていた痕跡がなくなってしまっても、私はやはり実家の家族たちの一員のままで、抜け出せそうにない。良くも悪くも。