箱崎ジャンクション

東京で聞くラジオが好きな理由のひとつに"東京の道路交通情報が聞ける"というのがあって、しかし、主な交通手段は徒歩か電車で、自動車免許も持っていない私にとって大切なのはどこの道路が渋滞だとかどこの交差点で事故があったとかの情報自体ではなくて、『有明ジャンクション』『板橋ジャンクション』『芝浦ジャンクション』といったジャンクションシリーズの言葉の響きの良さなのだ。

⚪︎⚪︎ジャンクションの⚪︎⚪︎にどんな地名が入ってもなかなか軽快なリズムをたたえるので飽きずに楽しめるのだけど、やはりお気に入りの⚪︎⚪︎ジャンクションが存在を膨らませてきていて、二強は『海老名ジャンクション』と『箱崎ジャンクション』だなと気づく。

"海老名"の持つやわらかさ、えびな、えびな、に"ジャンクション"がプラスされて都会のオアシス感がある『海老名ジャンクション』。"箱崎"の持つキッチリカッキリさに"ジャンクション"がプラスされて仁王立ちする王者の風格すら漂う『箱崎ジャンクション』。どっちも超かっこいい!語呂が。

そういうわけがあって、つい手に取ったのが『箱崎ジャンクション』というタイトルの小説だった。その主人公の室田さん、30代の男性で、タクシー運転手で、友達いないし職場の同僚とも距離があるし既婚だけど自分が浮気したせいで妻とは別居中で、ずううううっっと陰鬱な雰囲気でタクシーを乗り回しお客さんを連れ回し、ぐちぐちと離婚する・しないを足踏みする物語だった。暗すぎる。暗すぎてちょうど半分まで読み進めたときに「どうしてこの本を読んでいるんだろう?」と自問した。タイトルのせいだよ。気持ち強めにグッと栞を差し込んだ。

あ~なんかもう読みたくないけど読みたくないからって途中で投げ出したくないよ~どうしよ~〜〜で悶々としているうちに実生活でタクシーに乗る。

後部座席に身体をすべりこませた瞬間の「はいこんばんは」「どこまで行きますか」の語尾にエクスクラメーション・マークが付いていたからオッ喋るタイプの運転手さんじゃんと察知して、『箱崎ジャンクション』のことを話した。「今タクシー運転手が主人公の小説を読んでるんですよね、……」。

業界用語のこと。タクシー業界では売上げのこと“水揚げ”って言うんですか。「最近じゃ言わないけど確かに通じますね」。

文章中の表現のこと。ルームミラーとバックミラーって区別されてるんですけどよくわからなくて。「強いていうなら僕の左上にあるのがルームミラーで、車の外のボンネットの左右に付いているのがバックミラーかなあ」。

物語の展開について。妻と離婚して親権が取れなくて子供と会えなくなったタクシー運転手がいて……(もにゃもにゃ)(ネタバレ)。「ああそれ僕と同じですね。離婚して子供が三人いるんだけど会えないです」。←!!!

ギャーまた思いもよらなかったからって人を傷つけてしまったし私は口を開くことのない貝になりたいぞとコンマゼロ秒で汗が吹き出して緊張で舌の根がねばねばしたのを感じながら真人間として存在することを諦めようとした時に運転手さんが言ってくれた目尻にシワを寄せて笑いながらの「なんか物語とオーバーラップしますね」ってセリフがどれだけ私を救ってくれたか……。

だけどやっぱり運転手さんに起こった別離の事実はその心に影を落としていたはずで、自分の三人の子供たちについて語る運転手さんの、「子供はもうみんな大きくて」「父親なんていらないんですよ」に含まれる悲しい色が私の心を湿らせる。

親の立場における、関われるはずだった人生に関われなかったふがいなさとか、自分が関わらずとも支障なく物事が進んでいく焦燥とか、経験の無い私には計り知れない。「父親なんていらないんですよ」ってそんな……悲しいこと言うなよ~って感じだったけど、そう言わされるような文脈を生きてきたんだろうな。

計り知れない/わからない、なぜなら経験が無いから、というのは言葉としては正しいけど、わかるようになりたくてたまらない。『箱崎ジャンクション』を読み切ればちょっとはほどけるかも!と思い至って、運転手さんにお礼を言いながらタクシーを降りて足早に家に向かう。ベッドサイドに置かれたままのその本の、挟まれた栞の、その向こう側を早く読みたかった。