読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

人身御供

愛読書を実家に置いてきたままにしているせいで、太ももの内側がずっとそわそわしている。あのマジでラブアンドピースって感じの、手のひらサイズの物語たち。大事なものは常に手元に置いておくべきで、そのためにはどんな面倒もこなすべきなのだ。今の私が立ち向かわなければいけない面倒とは、もっぱら実家への恐怖で、漠然としたそれをひとつずつ確かめて潰していくしかない。そわそわ。


当人にとってはたわいのない一言が他の誰かを決定的に殴りつける事が時々ある。

結婚する直前の、双方の親同士の顔合わせのときに私の父が言った、「こんな言うことを聞かない娘より犬のほうがよっぽどかわいい」という一言。そうか、私は犬に取って代わられるほどの存在だったのだと、それを発した父の顔に目をやることができなかった。おそらく笑っているのだと声色でわかりはしたけれど、彼なりのギャグだったのだろうけど、それでも怖くて怖くて怖くて怖くてずっとうつむいていた。

実家での家族、5人、父と母と兄2人と私で食卓を囲む晩ごはんは、父と母の諍いで何度もダメになるものだった。コップは床に投げつけられるし、テーブルは拳を叩きつけられた。罵り合いの中、無言でカチャカチャと食物をかきこむ兄たちと私の無表情さと言ったらもうダメすぎる。

ある日の言い争いの末に、父はキッチンに母を追い詰め、手を上げようとした。母が叫んだ「暴力は卑怯よ!」の熾烈さに、私は悟る。暴力は実行されずともその気配だけで人をすくませるのだ。あの時キッチンで叩かれそうになったのは母だけど、同時に兄たちと私の上にも、父の掲げた手は確かに影を落としていた。「暴力は卑怯」だと、声を荒げるしか抵抗の方法が無かった母。あれは過去の兄たちで未来の私で未来の兄たちで過去の私で……。

あの家で私は家族からどんな役割を求められているのかを必死に探していた。今度こそ明日こそうまくやるぞという小さな決意を何度も抱いては失敗し、そのたびに、ごめんなさいごめんなさい役に立てなくてごめんなさいと泣いた。とにかく父と母にケンカをしてほしくなかった。私のふるまいが父か母、もしくはそのどちらかを、もしかしたらその両方を楽にしてあげられますように。

だけど、父と母に、私なんかは全然見えていなかったのだと、今ではわかる。彼らはふたりきりで睨み合っていた。プライドとプライドのぶつかり合いに子どもは関係ない。それは個人と個人の問題であって、けっして家族の問題ではなかった。私の無い知恵で編み出した必殺「家族だから」/「家族なのに」/「家族だよね?」はそもそも効果ゼロで的外れでお門違いだったのだ。

父と母、とりわけ母は個人と個人の問題を家族の問題として済ませたがった。ねぇお母さん、さっきお父さんと怒鳴り合ってたの大丈夫?→「あのキチガイ、自分の部屋に逃げたよ」→ねぇお母さん、ケンカするなら離婚しなよ→「あんたら子どもたちが家にいるうちは離婚しない、あんたたちには片親がいない不幸を背負わせたくない」→ねぇお母さん、私たち片親でもなんでもいいから平和に過ごしたいよ、怒鳴り声を聞きながら眠るのは嫌だよ、無理して強がるお母さんの顔なんか見たくないんだよ。ぜんぶ虚しい提案だった。


ダンボールに詰めこまれて実家の私の部屋に置いてあるはずのラブアンドピースたちは、既に夏と秋と冬と春をそうして過ごしていて、そろそろ2回目の夏が来る。母に頼めばきっと東京までの配送手続きをしてくれるに違いないけれど、それが完了するまでに母と私の間で交わされるやりとり、その中に"私の荷物がどんどん実家から無くなっていく"ことを想う父や母の寂しさが混ざりそうで怖い。嫌な思い出ばかりなのに、私は、父や母を、まだ、可能な限り、傷つけたくないと思っている。

読まれることはおろか開かれもせずにダンボールに押し込まれた本たちはジッと静かな人身御供だ。怒鳴り疲れた親たちが寝静まり、虫や鳥の鳴き声しか聞こえない深夜、私を励まし慰めたのは本だった。手元に戻すまでにはもう少し時間がかかるかもしれないけど絶対に見捨てたりしない。