私は星野源が怖い
この世には余りにも私の欲しいものがなさすぎるというか惜しい、惜しいんだよ、あと数ミリ数センチの私のニーズになぜおまえらは応えてくれないんだ?と歯噛みすることがままあって、したらば私もクリエイター側に回るしかない。
創作の原動力について、星野源はかく語りき。
「本当はアウトプットしないで生きていけたらいいと思うんですけど。どうしてもそうしないと生きていけない感じがあって。面白いものを作るぞっていう人たちが集結して、頑張って作ったものを見ると、物凄く元気が出るんです。自分もそういうものを作っていきたいなと思うし、そういう風に思ってもらえたらいいなあと」
―星野源『情熱大陸』で闘病の日々語る「辛いことの中には、意外と面白いのが混じっている」 - Real Sound|リアルサウンド
しれっと引用したけれど私は星野源が怖い。歌がうまい、音楽をつくれる、踊れる、演技ができる、文章を書ける、アニメを観る、ドラマも観る、映画も観る、今挙げたすべてについて即興で喋れる(ラジオができる)、ユーモアもある、人あたりがよい、闘病の過去もある、顔も悪くない、身長もそれなりにある。こんな存在が脅威以外の何者だというのか。「星野源、いいよね」じゃないんだよ。恋ダンスに沸いてたやつら、恋ダンスを踊ってみて自分も一瞬でもその流れに便乗できたと思ってる奴ら、おまえらわかってんのか?逃げ恥でただガッキーの可愛さに萌えていたやつらも、わかってんのか?人類はガッキーの後ろで脇役然として慎ましやかに微笑んでいた他でもない星野源に畏怖を抱き彼について考えなければならなかったのだ。僕/私は星野源に対して正対できる存在であれるだろうか、と。
さて、私が最近つくったものです。
1. ナマコパーカー
ナマコは可愛い。可愛いものはグッズにして持ち歩きたい。しかしナマコグッズはこの世に絶対数が少なすぎる。自分で作るしかない。
あたしが @tmix_jp さんでつくったドープなオリジナルナマコパーカーを見なさいョ! pic.twitter.com/q034J29jtm
— ゆきよ (@yky_sokkou) 2017年2月4日
PCで透過ナマコ画像を描いた。持ってて良かったペンタブレット。
TMIX は渋谷のオフィスにワンルームのショールームを持ってて、せっかくなので……というかやっぱりテキストと写真だけじゃ素材感とサイズ感わからないですわと思って、ショールームにお邪魔してきた。試着もさせてもらえてハッピー。TMIXさんおせわになりました。
2. おくすり手帳
おくすり手帳とは。
自分が使っている薬の名前・量・日数・使用法などを記録できる手帳です。副作用歴、アレルギーの有無、過去にかかった病気、体調の変化などについても記入できます。
表記については「おくすり手帳」派と「お薬手帳」派でゆらぎがあるが私は「おくすり手帳」を断然推す。なぜなら「お薬手帳」は一文字だけひらがなでダサいからだ。ダサいのは悪。
天は二物を与えずどころか何物も私から奪った上で産み落としやがりまして、おかげさまで病院を股にかけて常用薬をもらいに走る日々、なので薬剤師さんから「おまえー!おまえみたいなのはなー!おくすり手帳を持たないとなー!おまえー!」という無言の圧力を受けるのにも飽きて導入を試みるが、薬局でもらえるおくすり手帳というのはあまりにも華がない。ないんですよ。その華のなさといったら、私のサブカル女力をもってしてでもサブカルオシャレに昇華させることはできないほどの。
このおくすり手帳、実際には薬局で薬を受け取るときに、薬の名称・用法・用量の一覧を印刷した紙やらシールやらを貼ってもらうだけの手帳なので、自作しても大丈夫、とのこと。厳密には副作用歴とかアレルギー歴とか書く欄を設けておけよとかいろいろある。日本薬剤師会さんは今は電子化もといアプリ化の流れを推し進めてるみたいだけど、しゃらくさいのでアナログでいきましょう。私は手帳というものにテンションが上がるタイプの人間なんだ。
▲無印良品でA6サイズのノートを買ってくる。
▲沖縄に住むデザイナーヨナハアヤのSUZURIでステッカーを注文する。
おくすり手帳はすべからく体調悪いときに使うのだし、薬剤師さんにも見せるものなのに、思ったよりDEATH NOTEっぽくなってしまった。しかしながら黒地に白文字が書かれているというだけでDEATH NOTEかキリスト看板に見えてしまう病はもしかしたら20XX年世代だけかもしれない。
3. 小物入れ
クリームやら目薬やら細々とした物、そう、KOMONO、小物をテーブルの上に放置していたのだけど突如としてムカついてきたのでレザークラフト道具一式取り出してきて作った。所要時間40分。こんなふうに買うほどでもないものを自分でサッと作れたとき、能力があって良かったなと思う。交通費の削減。
5. ブックカバー
あらゆる厚みに対応できるようになってるブックカバーが欲しくて、売ってはいるのだけど、裏表紙側のベロが台形だとそれだけで読んでる最中に外れやすくて困る。作る。
しおり紐も付けたかったんだけどあの一般的なしおり紐はほつれてくるからなぁどうしようかなぁと迷って本体を先に作り上げてしまった。なにかいいしおり紐があれば後付けする。
切り口の黒い液剤、はみ出しまくってとても悔しい。でも既製品でも結構はみ出していることを私は知っている。
「明るい色のレザーで切り口だけ暗い色」というデザイン、ここ数年で流行ってる気がする。発端はどこのブランドなんだろう。私の中では「サマンサタバサっぽい」という印象がある。
コーチは柄が強いから切り口は強い色にしにくくてそういうデザイン少ないのかな。
男性ものでは全然見ないので女性もの特有のデザインなのかも。ところで電車で男性が使い古したビジネスバッグ持ってるとグッと来るね。
アニメ『龍の歯医者』の考察メモ
ありがとう僕の龍の歯医者。
長編アニメ『龍の歯医者』を舞城王太郎ファンが観るとこう考察できます、のメモを残しておきます。
後世に語り継がれる作品になるといいなぁ。
以下、特に明記のない引用は
NHKアニメワールド 龍の歯医者 スペシャル 「龍の歯医者の世界とは」
の設定資料集が出典。
龍とは
龍=人間の心
常に空を飛び続けており地上での姿を見た者はいません。
=人間の心は誰も直接見ることができない
巨大な口に並ぶ三列の歯が特徴で、この歯こそが龍の力の源であり唯一の弱点でもあります。
=人間を動かしているのはその心であり、止めるのもその心である
龍は歯で鳴(泣?)くんだ
――劇中 野ノ子 セリフ
=人間が感情を露出させるとき、それは心から出てくるもので、頭で考えられたものではない
(↑このセリフは
逆のことはあっても、愛情によって言葉は演出されない。
――『好き好き大好き超愛してる。』舞城王太郎
を彷彿とさせて思わずよだれが出る。)
虫歯菌とは
虫歯菌=人間の感情
各虫歯菌は人間に起こりがちな感情の種類や心の動きの見立てではないかと。
ヨナキ虫 (中略)夜中に走り回り日の出にはどこかに消えてしまう。
=夜になると湧いてきて朝になると消える鬱
アブク虫 歯の中で最も多く見られる虫歯菌。湧き出す泡の様に増え歯医者たちの手を焼かせる。
=日常的に生まれる雑多な感情
ヒカリ虫 歯の表面に現れ辺りを照らす虫歯菌。基本単独で行動し群れで見つかる事は非常に稀。
=ぽっと生まれるポジティブな閃き
ヤジリ虫 (中略)不用意に触ろうとすると刺してくる事があり注意が必要。
=自分を責めて傷つけようとする感情
カブリ虫 動物の様に懐いてくる大型の虫歯菌。激昂すると姿を変え襲ってくる。
=自分の感情が思いもよらない方向に変質することがある
天狗虫 人を襲う強力な虫歯菌。歯の中を自在に動き回る力を持っている。
=自己中心的な考え
龍の歯医者とは
感情は良くも悪くもその人間に影響を及ぼす自家中毒の性質を持っている。「自分は今落ち込んでるなぁ」と自覚できたなら原因を探って除去できるのが一番いい。
龍の歯医者=生まれた感情を処理してくれる/救ってくれる存在
それは例えば友人や恋人、家族。
ニョロリ虫 (中略)近寄ると絡みついて歯医者たちの作業の邪魔をする。
=助けてくれる周囲の存在に対して抱くネガティヴな感情
ムクロ虫 死骸を食べる虫歯菌。食性が判明している、という点で菌の中でも変わり種である。
=大切だった誰かの存在であれ最後には忘れ薄れていく
龍の歯医者になるためには特別な試験を受ける必要がありますが、通過できる者は極まれです。
=人間は誰とでも仲良くなれるわけではなくて相性がある
こいつとなら仲良くなれるかも、という期待から始まる人間関係もある。
少女は選んでここに来た。
――龍の歯医者 キャッチコピー
=龍を助けてあげたいという意思をもって龍に関わる者が野ノ子
少年は選ばれてここにいる。
――龍の歯医者 キャッチコピー
=龍側の助けてほしいという意思で龍に関わらされる者がベル
龍の歯医者たちは特殊な道具をいくつか使用しますが、その代表的なものが「龍爪」と呼ばれる仕事棒です。龍の爪や皮膚から作られたもので、龍の力を宿すため虫歯菌への攻撃に有効です。
=自分の心から生まれた感情を処理するには自分の力が不可欠
但しこれは龍の力の一部であり、龍から離れるとその力は失われてしまいます。
=自分の感情が他者に影響を及ぼした後に処理/吸収をしてそれを無かったことにするのは不可能である
考察終わり。
清水富美加さんの声優よかった。あんな声をした方なのね。
後編最後のベルの独白が舞城節で、舞城ファンとしては大満足だった。
後編のベルは臆病すぎて観ててイライラしたけど。野ノ子に笑いかけられただけで頬染めるのはチョロすぎ。
あっあと後編最後の「美しい…」ってやつも『好き好き大好き超愛してる。』で同じテーマを扱っててよだれが出ました。
(こっそり追記:
虫歯菌の、特にヒカリ虫が『好き好き大好き超愛してる。』に出てくるASMAを思い出させるし、柴名の「生きている以上、いつも何事かを決めるんだよ」というセリフは舞城の短編『みんな元気。』で同じテーマを扱ってるし、ベルの最後の独白の馬のモチーフは舞城が『山ん中の獅見朋成雄』や『獣の樹』で使ってるし、舞城ファンの私は『龍の歯医者』の中に舞城要素を見つけてよだれを垂らす。ネットでこのアニメの感想を読み漁ってるいると、エヴァファンはエヴァ要素を見つけてよだれを垂らし、鶴巻監督ファンは鶴巻要素を見つけてよだれを垂らし、つまり〈このアニメに関わった誰か〉ファンは〈このアニメに関わった誰か〉要素を見つけてよだれを垂らしている。嬉しい。それぞれの要素を潰さないよう絶妙なバランスで成り立っている。ありがとう僕の龍の歯医者。)
このアニメ『龍の歯医者』長編版は、ただいま準備中の小説シリーズ『龍の歯医者』で描かれる大きな物語の、ほぼ冒頭、主人公野ノ子の長くて短い歯医者人生が始まって半年目くらいのところで起こるお話です。
――NHKアニメワールド 龍の歯医者 制作にあたって 原作・脚本 舞城王太郎 より
小説シリーズ超楽しみ。
龍の歯医者が激アツだったあなたには舞城の小説『SPEEDBOY!』がおすすめ。
オムニバス形式で舞城文体に慣れてなくても読みやすいと思うよ。
午前5時に水辺で飲む缶コーヒーのおいしさを君は知っているか
こちら、 釣り Advent Calendar 2016 18日目の記事です。現役ではないけれども「釣りと私」をテーマに一筆。
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1. 豪華な魚のエサ
小学校低学年の夏休みは、祖父と父と兄と私の4人で池や沼に釣りに車で出かけていた。
片手で数えられるほどの年齢のいたいけな女児が釣りというアウトドアアドベンチャーに同席するにあたって最大の難関は生きエサ、もといウネウネした生き物である。例えばユムシ。ユムシを知らないからといってGoogle検索をするのは止めておくのがよろしい。You should 無視、ユーシュッドムシ、略してユムシ。これがユムシの名前の由来である。嘘である。
幸運なことに、祖父や父のするヘラブナ釣りはジャガイモに魚が好みそうななんらかの成分を混ぜこんだ練りエサを使うし、兄のするブラックバス釣りはルアーを使うしで、私はウネウネクネクネモニモニキモチワルイ生きエサというものに対峙する必要はなかったのだった。
練りエサの存在を知っているせいでマッシュポテトをつくっているとヘラブナの生臭さを思い出すし、ポテトサラダに対する評価も「豪華な魚のエサ」なのだけど、他者に嫌われそうなので人前で言ったことはない。
2. 世界の終わり
石川県のK潟という干潟に連れていかれる日はなぜか決まって曇天で、昼間でも薄暗くて、土地の性質なのか常に湿った砂利道は踏みしめるとにちゃにちゃと音がする。釣り人もパッと見では全然いなくてファンタジーで見る世界の終わりの風景みたいだった。
近くにあった、土ぼこりが店中に舞うそこそこ広い釣具屋。これもまた世界が終わりかけてる最中に荒涼とした土地で細々と商売をしてる感があって、どえらい場所だな、と幼いながらに戦々恐々。
もしかして富山県民の私が抱く石川県に対する「石川県なんてなぁ!」という“コンプレックス
to都会・金沢from富山県民”はこれが原体験なのだろうか?
新幹線駅・金沢とかって調子乗ってるけど発展してるのは金沢駅前だけでちょっと外に出たら全然田舎だしそもそも駅周りだって大したもんないでしょうよ的なあれは、そういう?
3. 白くてでかい鳥
一番よく行っていた、富山県のY池のコンクリートで整備された足場は魚巣ブロックといって魚が棲めるように空洞が開けられていて、そこに練りエサをつけた糸を垂らすとブルーギルがぽんぽこ釣れる。本当に垂らせば百発百中で釣れるのでぽんぽこって感じなのだ。
ブラックバスしかりブルーギルしかり名前ほどブラックでもブルーでもなくてグリーンじゃん、と思いながら、釣ったブルーギルは自分の背部に投げる。日の下にブルーギルを晒しておくとサギだかなんだかの白くてでかい鳥が食べに来るのだ。
白くてでかい鳥は神々しい。
反してブラックバスもブルーギルも害魚。食害の罪は重いらしくキャッチした彼らは三途の川にリリースするよう推奨されている。
ブルーギルを釣っては白くてでかい鳥に献上する私はさしずめブルーギル専門ジャック・ザ・リッパー。ようよう、おまえら可愛い顔してるけど鳥に喰わせちゃうぜ。ぽんぽこ、ぽんぽこ。
4. エメラルドマウンテン
夏休みの平日、父が仕事の日は、兄は家から一時間半かけて自転車でY池に通っていた。私も同じく自転車で一時間かけて国道8号線を上り下り県立図書館に通っていた。
遠いとは思わなかった。あの頃、自転車に乗りさえすればどこにでも行けると思っていた。
今だってどこにでも行けるけど、日焼けや人目、交通手段による効率の悪さを無視して自転車に乗るには、それらを気にしないように気をつけなければいけない。知らず知らずのうちに、努力が必要な部類の行動になってしまった。私は大人になった覚えはないけど、あの頃と同じように子供で居続けているわけでもない。
二人並んで竿を並べていたはずの祖父と父の間に昔から確執があることを母から教えられたのは私が十代になってからで、そういうことは自我が芽生えた時点で先に教えておくか、もしくは一生教えないかで徹底してくれよと戸惑った。
教えるなら教えるで思春期の多感な時期にやめろっつうの、と祖父・父・母の全員が他人みたいに見えもしたけれど、釣りという共通の趣味が祖父と父の間をぎりぎり橋渡していて、兄と私が無邪気にそれを眺めていられた時間の存在は、けして悪いことではなかったよな、と今では思う。
午前5時、池の向こう岸に茂る木々のシルエットと、薄曇りの空にぼんやりと光り始める朝日。霧で白く煙った水面に魚の影を待ちながら飲む缶コーヒーのおいしさは何物にも代えがたい。
今もコーヒーを飲む時に植物や土の気配を感じる瞬間があるのはきっとそのせいで、スタバのキャラメルマキアートも喫茶店のサイフォンで淹れたホットコーヒーも大好きだけど、あの頃のジョージアエメラルドマウンテンの味がずっと私の中では特別なのだ。
5. 兄とダンボール箱
さて、当時の兄と私で揃って愛読していたのが、コロコロコミックで連載されていた釣り漫画『スーパーフィッシング グランダー武蔵』。
この漫画の影響力といったら絶大で、ルアーを狙い通りの場所に仕掛ける練習として床に小箱を置きその中に落とす……という釣り業界でいう“素振り”の方法を兄に教え、家の廊下に点々と謎の段ボール箱を置かせ、私たち家族がリビングからトイレに向かうのを阻害させたり、魚を水に上げる瞬間に「フィーッシュ!」と叫ぶ習慣を兄に植え付けてくれたりした。
かくいう私も魚を釣った瞬間は口に出さずとも心の中で「フィーッシュ!」と呟いていたし、成長し今は叫ばなくなった兄もきっと同じように外には聞こえない「フィーッシュ!」を唱え続けているのだと思う。多分。いつまでも子供っぽいところあるからな、あいつ。
友人カップルが結婚するのでキーカバー作った
友人カップルが結婚するとのことでめでたい。彼らが一緒に住む部屋では猫が飼われており、ごはんを食べられる猫カフェとしてよくお世話になっていて、お礼もこめてお祝いのしるしにキーカバーを作って渡した。
キーカバー、私と旦那も、私のつくったものをおそろいで持っていて、無意識に毎日使えるという点でよい。おそろいだからといってこれ見よがしに他人に見せつけることもない。キーカバーはあってもなくても構わないもの……アドオンなものだから、生活を劇的に変えるわけでもなくて導入に易しい。実家でレザークラフト始めるにあたってハンマーの音で家族に迷惑をかけることがわかりきっていたので、まずは家長、私の場合は父親にキーカバーをプレゼントして媚を売っておくというライフハックを実行した過去もある。工程も短いし初心者でも作れて、かつ、周囲に媚も売れる作品No.1、それがキーカバー。
猫好きカップルなので猫モチーフにしようと思いつき、猫のあのずんぐりむっくり愛らしい感じを鍵の上部にどう置こうか頭を絞る。彼らの今飼ってる猫たちを模するか〜と考えたけど、レザーで表現するには細かい模様だったことを思い出して早々に諦める。
「キーカバー レザー 猫」とかでぐぐって流し見、パクれそうなデザインを吸収するけど、レザークラフトに限らずあらゆる手仕事は設計図が共有されてもそれを表現する技術で追いつけないので、プログラミング業界のOSSに慣れてると、なんていうか圧倒的な実力差ってあるんだなぁ……とちょいちょい病む。
部屋の鍵が二つあるらしいとの情報を得ていたので、暗くなってから帰宅する時に二つの鍵の判別をわかりやすくしたい。シルエットで分けよう〜と考えたけど、同一のドアに使う鍵ならペア感を出したいし、わずかな形状の差異は逆に混乱させそう。レザーの感触で違いをつけることにする。
使ったレザー、赤くてざらざらしてるこれと、
茶色でつるつるしてるこれ。
ドローイングアプリで革と糸の色との相性を試す。やってみなきゃわかんないことが大半だけど積極的に失敗しに行くほど元気ではないので。若さゆえの過ちなど少ない方がよろしいのですよ。盗んだバイクで走り出さずに、校舎の窓ガラスも壊して回らずに大人になる方がよろしいのですよ。
型紙に起こす。
生首。
習作としてまずは適当な革で作ってみる。穴を開けるところにキリで目印をつけると三つ目の妖怪みたいになって怖かった。夢に出てきそう。
サイズ小さかった。無理矢理鍵を押し込んだので釣り目の猫になった。
一回り大きく型紙から作り直して本チャンやぞ!
作業に飽きたタイミングで写真撮ってる。
ちょうど白い糸を使い終わって飽きたんでしょうね。
できた。徹夜してめちゃくちゃ眠かった。先方と同型の鍵を入れてOKなのでオールOK。今回は同型の鍵が手元にあったからいいけど、一般流通させるキーカバーを作りたい時には最大公約数を取って設計するの超大変そうだな〜と取らぬ狸の皮算用。革だけに。ふふ。
みんな大好きラッピングタイム。
ギャー全然納まる気配がない。
分離させたい。
台風かよ。
納めて乗せてはみたものの「運搬中にもじゃもじゃ上を平行移動しそう」という危機感にさいなまれる。
そこらへんにあった厚紙とテープで雑に固定。
スリーブからはみだそうとするもじゃもじゃが憎かった。
で、箱を包んでイェイ完成。余ったもじゃもじゃはどうしたらいいんだ。焚き火でもするか。
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友人カップルが婚姻届を出すにあたって、私と旦那に白羽の矢が立ち、証人欄を二人で埋めさせてもらった。婚姻届は出したことあるけどこの欄を書くのは初めて〜とはしゃいだ。
婚姻届の証人の欄(と『応人の乱』で韻が踏める)というのは、お互いの両親の片方ずつだとか、カップルが成立するにあたって尽力した仲人だとかに書いてもらう場合が多いけれど、実は成人済みの人間であればカップルとどんな関係の誰であれOKらしくて、極論を言えば市役所で赤の他人を二人捕まえて書いてもらえば届出には何の問題もないらしい。市役所に来てるような人間なんて大抵は印鑑を持ち歩いているだろうし難しいことではない。
それにしても証人という名称ではあるものの、例えば離婚したって責任を取らされるわけでもなく、あの欄の存在意義ってなんなのだろう?少なくとも友達が二人はいないと今後の結婚生活はやっていけないよ、という忠告なのだろうか。余計なお世話すぎる。
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誰かのために何かを作る時の、目に見える世界のすべてからヒントを得ようとするあの感じも含めて物の値段は決められるべきだよなぁと思う。映画の予告でよく聞く『構想○年』という表現は過言ではなくて、四六時中、それをどうしたらもっと良きものに昇華させられるだろう、と探し求める時間を、プライスレスとは言い難い。確かに神経がすり減る感覚がある。庵野秀明とか、この種の苦労が人よりずっとやばそう。特に根拠はないけど。
サイタマからアメリカに田舎ラップは響くのか 映画『SR サイタマノラッパー』
埼玉育ちブロ畑育ち 山の幸とは大体友達
―俺らSHO-GUNG~サイタマノラッパーのテーマ~/SHO-GUNG
『SR サイタマノラッパー』という映画を観たら今まで映画に抱いてた価値観が覆されてしまって震える。映画ってお金をかけなくても人を感動させられるのだ。あの有名な俳優が出てるとかCGがどうとかまっっったく関係ない。
サイタマノラッパーは上映が始まった瞬間にホワイトノイズが入りすぎとかマイクの音こもりすぎとか画質悪すぎとかタイトルロゴが斜体だし色合いも絶妙にイモいとかいろいろあるけど、そういうこと全部を忘れさせるくらいにストーリーが意識を引き込んでくれた。もちろん「お金をかけられてないからこそ価値がある」と言いたいのではないし、親にどれだけ教育費かけられてもろくでなしっているでしょう?
タイトル通り埼玉のラッパー=Saitama-no-Rapperの映画です。埼玉、と聞いてああ~何もないところねと印象を持っているのはたぶん間違ってない。埼玉の話をして・されて、広がった記憶ってある?私はないです。それほど何もない町、つまり田舎でラッパーとして生きるにあたってぶちあたる絶望が描かれる。
田舎出身ならわかるネタ、まずは車社会。主人公のIKKU(名前がイクミだからイック)は車を持ってないからだだっ広い田んぼ道を歩くし、流しのタクシーなんて走ってないし、仲間内で車を持っている奴はそれが親の車であろうと常に駆り出される。
次に建物事情。一戸建ての古い家屋ばかりで部屋も玄関も基本は引き戸。コンビニの周囲には他の建物はなく駐車場。
最後に村社会。噂は老若男女全員に共有される。誰々が出て行ったとか戻ってきただとかの「よそとうち」の感覚。先輩・後輩の上下関係。
田舎から東京に出てくると忘れそうになるけどマジでそういうもんなんだよね、田舎って。車を持ってないだけで市民権ないみたいだったもん。車なんか運転して日常的に人を殺す可能性を自分自身に持ち歩くのが怖くて免許も取らずに東京に出てきたこと、後悔はしてないけど、地元にいた頃の自分を思い出すとかわいそうになる。
そして田舎で一番キツイのは、親や友達から、しがないサラリーマンになることしか求められてないという点。それ以外の夢を持ってる人間にはこれが一番つらくて、だって常に耳元で「諦めろバカなことはやめろまともに働け」をささやかれてるのと一緒だそんなのは。実際に否定を口にしてくるのだ、あいつら。
劇中でもたびたび出てくるセリフ、「○○(地域名)だぜ、無理だろ」。夢って無理/無理じゃないって基準でもつものじゃなくない?毎日否定されてHP削られてしまうんだから叶うもんも叶えられなくなってしまう。そもそも「何かをし続ける」っていうのはそれだけでとても難しいことなのに、田舎ってだけでもっともっとハードルが高くなる。金銭的にも地理的にも人間関係的にも。今はインターネットがあるから敷居が下がったとはいわれるけど、それでも日々「これが都会だったらなあ」とへこまされてしまうのだ。
しかもIKKUが追いかけてる夢はラッパー。プロですら一歩間違えれば「ダサい」と形容されるジャンル。でも本当は田舎だからこそラップをするべきなのだ。楽器なんか弾けなくても音符なんか読めなくてもできる唯一の音楽。
ラストシーンの、ビートもなしに即興でラップをする、いわゆるフリースタイルラップのシーン。周囲からは揶揄され、軽蔑のまなざしを向けられ、それでもかまわずに届け響けと歌うあのシーンに、ラッパーという生き物の存在意義が詰まってる。
そしてエンディング、IKKUはこの曲を、本当はこんな形で実現したかったんだよなぁ。仲間だったと思ってた人はみんなどこかに行ってしまう。「捧げるぞTKDに」って歌詞だって、この地で夢を見続けることに協力してくれた相手への本気の感謝を込めたリリックだ。嘘でも冗談でもない。ましてや他人の目を気にして恰好つけるための言葉でもない。明るいトラックに乗せられた明るい言葉たちが、映画を観た後だととてつもなく切ない歌に聞こえる。
HIPHOPでわからなくなったらまずはググれ
それでも無理なら首くくれ―俺らSHO-GUNG~サイタマノラッパーのテーマ~/SHO-GUNG
これでSHO-GUNG 全員集合で始まった今日だけのparty
―俺らSHO-GUNG~サイタマノラッパーのテーマ~/SHO-GUNG
もうこのエンディングテーマを最後に聞くためだけの長いミュージックビデオだと考えてもいいくらいに、この曲が心に響くし届く。映画館で観てよかったと心底思ってるけど、Netflixにもシリーズ全3作あるので、とにかく観て、泣いて、一瞬でもラッパーってかっけーなと感じてほしい。あっでも私もまだ2と3は観てないです。