ギュッと五臓六腑

友人カップルが結婚するのでキーカバー作った

友人カップルが結婚するとのことでめでたい。彼らが一緒に住む部屋では猫が飼われており、ごはんを食べられる猫カフェとしてよくお世話になっていて、お礼もこめてお祝いのしるしにキーカバーを作って渡した。

キーカバー、私と旦那も、私のつくったものをおそろいで持っていて、無意識に毎日使えるという点でよい。おそろいだからといってこれ見よがしに他人に見せつけることもない。キーカバーはあってもなくても構わないもの……アドオンなものだから、生活を劇的に変えるわけでもなくて導入に易しい。実家でレザークラフト始めるにあたってハンマーの音で家族に迷惑をかけることがわかりきっていたので、まずは家長、私の場合は父親にキーカバーをプレゼントして媚を売っておくというライフハックを実行した過去もある。工程も短いし初心者でも作れて、かつ、周囲に媚も売れる作品No.1、それがキーカバー。

猫好きカップルなので猫モチーフにしようと思いつき、猫のあのずんぐりむっくり愛らしい感じを鍵の上部にどう置こうか頭を絞る。彼らの今飼ってる猫たちを模するか〜と考えたけど、レザーで表現するには細かい模様だったことを思い出して早々に諦める。

「キーカバー レザー 猫」とかでぐぐって流し見、パクれそうなデザインを吸収するけど、レザークラフトに限らずあらゆる手仕事は設計図が共有されてもそれを表現する技術で追いつけないので、プログラミング業界のOSSに慣れてると、なんていうか圧倒的な実力差ってあるんだなぁ……とちょいちょい病む。

部屋の鍵が二つあるらしいとの情報を得ていたので、暗くなってから帰宅する時に二つの鍵の判別をわかりやすくしたい。シルエットで分けよう〜と考えたけど、同一のドアに使う鍵ならペア感を出したいし、わずかな形状の差異は逆に混乱させそう。レザーの感触で違いをつけることにする。

使ったレザー、赤くてざらざらしてるこれと、

茶色でつるつるしてるこれ。

ドローイングアプリで革と糸の色との相性を試す。やってみなきゃわかんないことが大半だけど積極的に失敗しに行くほど元気ではないので。若さゆえの過ちなど少ない方がよろしいのですよ。盗んだバイクで走り出さずに、校舎の窓ガラスも壊して回らずに大人になる方がよろしいのですよ。

型紙に起こす。

生首。

習作としてまずは適当な革で作ってみる。穴を開けるところにキリで目印をつけると三つ目の妖怪みたいになって怖かった。夢に出てきそう。

サイズ小さかった。無理矢理鍵を押し込んだので釣り目の猫になった。

一回り大きく型紙から作り直して本チャンやぞ!

作業に飽きたタイミングで写真撮ってる。

ちょうど白い糸を使い終わって飽きたんでしょうね。

できた。徹夜してめちゃくちゃ眠かった。先方と同型の鍵を入れてOKなのでオールOK。今回は同型の鍵が手元にあったからいいけど、一般流通させるキーカバーを作りたい時には最大公約数を取って設計するの超大変そうだな〜と取らぬ狸の皮算用。革だけに。ふふ。

みんな大好きラッピングタイム。

ギャー全然納まる気配がない。

分離させたい。

台風かよ。

納めて乗せてはみたものの「運搬中にもじゃもじゃ上を平行移動しそう」という危機感にさいなまれる。

そこらへんにあった厚紙とテープで雑に固定。

スリーブからはみだそうとするもじゃもじゃが憎かった。

で、箱を包んでイェイ完成。余ったもじゃもじゃはどうしたらいいんだ。焚き火でもするか。

✳︎ ✳︎ ✳︎

友人カップルが婚姻届を出すにあたって、私と旦那に白羽の矢が立ち、証人欄を二人で埋めさせてもらった。婚姻届は出したことあるけどこの欄を書くのは初めて〜とはしゃいだ。

婚姻届の証人の欄(と『応人の乱』で韻が踏める)というのは、お互いの両親の片方ずつだとか、カップルが成立するにあたって尽力した仲人だとかに書いてもらう場合が多いけれど、実は成人済みの人間であればカップルとどんな関係の誰であれOKらしくて、極論を言えば市役所で赤の他人を二人捕まえて書いてもらえば届出には何の問題もないらしい。市役所に来てるような人間なんて大抵は印鑑を持ち歩いているだろうし難しいことではない。

それにしても証人という名称ではあるものの、例えば離婚したって責任を取らされるわけでもなく、あの欄の存在意義ってなんなのだろう?少なくとも友達が二人はいないと今後の結婚生活はやっていけないよ、という忠告なのだろうか。余計なお世話すぎる。

✳︎ ✳︎ ✳︎

誰かのために何かを作る時の、目に見える世界のすべてからヒントを得ようとするあの感じも含めて物の値段は決められるべきだよなぁと思う。映画の予告でよく聞く『構想○年』という表現は過言ではなくて、四六時中、それをどうしたらもっと良きものに昇華させられるだろう、と探し求める時間を、プライスレスとは言い難い。確かに神経がすり減る感覚がある。庵野秀明とか、この種の苦労が人よりずっとやばそう。特に根拠はないけど。

サイタマからアメリカに田舎ラップは響くのか 映画『SR サイタマノラッパー』

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埼玉育ちブロ畑育ち 山の幸とは大体友達

―俺らSHO-GUNG~サイタマノラッパーのテーマ~/SHO-GUNG


SR サイタマノラッパー』という映画を観たら今まで映画に抱いてた価値観が覆されてしまって震える。映画ってお金をかけなくても人を感動させられるのだ。あの有名な俳優が出てるとかCGがどうとかまっっったく関係ない。

サイタマノラッパーは上映が始まった瞬間にホワイトノイズが入りすぎとかマイクの音こもりすぎとか画質悪すぎとかタイトルロゴが斜体だし色合いも絶妙にイモいとかいろいろあるけど、そういうこと全部を忘れさせるくらいにストーリーが意識を引き込んでくれた。もちろん「お金をかけられてないからこそ価値がある」と言いたいのではないし、親にどれだけ教育費かけられてもろくでなしっているでしょう?

タイトル通り埼玉のラッパー=Saitama-no-Rapperの映画です。埼玉、と聞いてああ~何もないところねと印象を持っているのはたぶん間違ってない。埼玉の話をして・されて、広がった記憶ってある?私はないです。それほど何もない町、つまり田舎でラッパーとして生きるにあたってぶちあたる絶望が描かれる。

田舎出身ならわかるネタ、まずは車社会。主人公のIKKU(名前がイクミだからイック)は車を持ってないからだだっ広い田んぼ道を歩くし、流しのタクシーなんて走ってないし、仲間内で車を持っている奴はそれが親の車であろうと常に駆り出される。
次に建物事情。一戸建ての古い家屋ばかりで部屋も玄関も基本は引き戸。コンビニの周囲には他の建物はなく駐車場。
最後に村社会。噂は老若男女全員に共有される。誰々が出て行ったとか戻ってきただとかの「よそとうち」の感覚。先輩・後輩の上下関係。

田舎から東京に出てくると忘れそうになるけどマジでそういうもんなんだよね、田舎って。車を持ってないだけで市民権ないみたいだったもん。車なんか運転して日常的に人を殺す可能性を自分自身に持ち歩くのが怖くて免許も取らずに東京に出てきたこと、後悔はしてないけど、地元にいた頃の自分を思い出すとかわいそうになる。

そして田舎で一番キツイのは、親や友達から、しがないサラリーマンになることしか求められてないという点。それ以外の夢を持ってる人間にはこれが一番つらくて、だって常に耳元で「諦めろバカなことはやめろまともに働け」をささやかれてるのと一緒だそんなのは。実際に否定を口にしてくるのだ、あいつら。

劇中でもたびたび出てくるセリフ、「○○(地域名)だぜ、無理だろ」。夢って無理/無理じゃないって基準でもつものじゃなくない?毎日否定されてHP削られてしまうんだから叶うもんも叶えられなくなってしまう。そもそも「何かをし続ける」っていうのはそれだけでとても難しいことなのに、田舎ってだけでもっともっとハードルが高くなる。金銭的にも地理的にも人間関係的にも。今はインターネットがあるから敷居が下がったとはいわれるけど、それでも日々「これが都会だったらなあ」とへこまされてしまうのだ。

しかもIKKUが追いかけてる夢はラッパー。プロですら一歩間違えれば「ダサい」と形容されるジャンル。でも本当は田舎だからこそラップをするべきなのだ。楽器なんか弾けなくても音符なんか読めなくてもできる唯一の音楽。

ラストシーンの、ビートもなしに即興でラップをする、いわゆるフリースタイルラップのシーン。周囲からは揶揄され、軽蔑のまなざしを向けられ、それでもかまわずに届け響けと歌うあのシーンに、ラッパーという生き物の存在意義が詰まってる。

そしてエンディング、IKKUはこの曲を、本当はこんな形で実現したかったんだよなぁ。仲間だったと思ってた人はみんなどこかに行ってしまう。「捧げるぞTKDに」って歌詞だって、この地で夢を見続けることに協力してくれた相手への本気の感謝を込めたリリックだ。嘘でも冗談でもない。ましてや他人の目を気にして恰好つけるための言葉でもない。明るいトラックに乗せられた明るい言葉たちが、映画を観た後だととてつもなく切ない歌に聞こえる。

HIPHOPでわからなくなったらまずはググれ
それでも無理なら首くくれ

―俺らSHO-GUNG~サイタマノラッパーのテーマ~/SHO-GUNG

これでSHO-GUNG 全員集合で始まった今日だけのparty

―俺らSHO-GUNG~サイタマノラッパーのテーマ~/SHO-GUNG

もうこのエンディングテーマを最後に聞くためだけの長いミュージックビデオだと考えてもいいくらいに、この曲が心に響くし届く。映画館で観てよかったと心底思ってるけど、Netflixにもシリーズ全3作あるので、とにかく観て、泣いて、一瞬でもラッパーってかっけーなと感じてほしい。あっでも私もまだ2と3は観てないです。

結婚記念日だったのでハンドメイドの財布をあげた

結婚2周年記念日です。サプライズで旦那にハンドメイドの財布をあげた。

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ででーん。

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こういうのはラッピングが一番楽しくて写真いっぱい撮ってた。まずは箱に緩衝材みたいなやつをセットします。

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ひっ もじゃもじゃおばけ!(入りきらん)

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悪霊退散の気持ちを込めて潰す。ぎゅっぎゅっ。

想定していたよりも横幅ぴったりで肝を冷やす。

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ぱたり。

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外装用のペーパーが明らかに尺足りない。

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大人になるっていうのはね、妥協ができるようになるってことなんだよ。なんかおいしいお菓子入ってそうな外見になったけどよろしかろう。

一緒に暮らしてる相手にサプライズを企画するの、ふとした瞬間に虚無感(『なぜ通常の生活リズムを崩してまでこそこそしなければいけないのか?』)が襲ってくることを学んだ。これ書いてる時点ではまだ渡してないので油断はできない。

* * *

旦那さんの今の財布、確か10年くらい使われてて、いわゆる≪バリバリ財布≫で、しかもビーバーの巣作りかよってくらいに無駄にレシートとか映画の半券とかをためこむ人なのでそれはもう常にふっくらぱんぱんなのである。まあ財布、大事なのは中身だし、別にいいけどさぁでもさぁ……で指摘して新しいのを探すけどお眼鏡にかなうものがない→「じゃあつくって」と言われる。レザークラフトの道具も買ってくれる。きゃっきゃっ。

それが少なくとも結婚前の話だから2年以上前。ひとまず経験値を稼がせてくれと言い訳してキーカバーやらiPhoneケースやら肩掛けカバンやらをつくりうだうだうだ結局去年の5月あたりから構想2か月、PDFに起こした型紙データはどうやら去年の9月下旬が最終更新日、で、つい最近完成したので、革を切ったり貼ったり縫ったりに1年かけてたことになる。はは。かかりすぎ。あと時間かけたにしては仕上がりに満足できてないし、とにかく技術が足りなくて歯がゆい。

敗因、2点あって、旦那から「薄いのがいい」と要望があったから薄さにだけ注力して柔らかい革を選んでしまったことと、ファスナーを扱うのが初めてだったこと。≪クロムなめし≫といって、柔らかいってだけで私の持ってる技術があれもこれも通用しなくて手こずる手こずる……。そのせいもあってファスナーの縫い線ががたがたになって、開け閉めが苦労する感じに仕上がってしまった。地元で馴染みのレザークラフト用品店のお姉さんに、こう、周囲をぐるっとファスナーで囲む財布を作りたくてね、って相談した時の、彼女の「それは鬼門だね」という一言と神妙な面持ちが妙に印象に残ってたけどそういうことかと膝を打つ。調べたら柔らかい革もファスナーも初心者向きじゃないとのことで私の心がめげるめげる……。

完成させたはいいけど使い心地が悪そうで申し訳なさがある。

でもあらゆる創作は完璧じゃなくていい。もしかしたらそれを受け取る誰かが喜んでくれるかもしれない。創作とは、そういう小さな可能性に賭けて行われるものなのだ。ってエルトン・ジョンも『Your Song』で歌ってたでしょ。

I know it's not much but it's the best I can do
まだ十分じゃないとはわかっているけれど これが僕にできる精一杯

My gift is my song and this one's for you
僕からの贈り物はこの歌で そしてこれは誰のためでもなく君のためのものだ

And you can tell everybody this is your song
君の歌なのだと皆に言ってくれていい

It may be quite simple but now that it's done
シンプルすぎるかもしれないけれど もう出来上がってしまった

I hope you don't mind that I put down in words
僕が書き下ろした言葉だということも気にしないでほしい

How wonderful life is while you're in the world
君のいる世界ってやつはなんて素晴らしいんだろうって言いたかったんだ

ね。歌ってたでしょ。

ファスナーを縫ってる時、イライラしてあーもうだめだーってなったけど、一旦この曲をレコードで聴いて元気を出したなぁ。針を止めて針を落として復活した。そんなふうに私の創作もいつか誰かを救えたらいい。次はもっといいものをつくるぞ、を繰り返すために筆や糸や針を手に取って机に向かう。

それでも石のタワーを建てなければ

この時代に生まれて良かった、という牧歌的な感情をポケモンGOのせいで抱いている。小学生の頃の自分に教えてあげたいよ、まさか他人とリアルに「あっちにピカチュウいたよ」って会話をするなんて。「ポケモン捕まえに行きたいよー」って部屋の中でそわそわするなんて。ポケモンを捕まえに行きたい、っていうこの気持ちは何なの?ぶるぶるっ。

当然みたいに皆ポケモンを探している。自宅近くのポケスポットを辿っていて、この公園はイスとテーブルが揃ってていいね/猫が常に3匹くらい滞留してる広場がある!/この『インベーダー』って名前の場所どこ?、って発見するのも、もうなにもかもがいちいちたまらん。

でも今もし私が小学生だったら、スマホを自由に持てる環境……つまり家庭の貧富とか教育方針、だったかは怪しくて、だから、この時代に大人でいれて私はラッキーだった。大人は最高で、労働をすれば自分の好きにお金と時間を使える。私の『好き』は音楽と本とダイビングと、あとは明文化できないくらいに当たり前になってしまっているいくつかの楽しみと。仕事終わりに食べるドーナツとか。

子供時代って一体どうしてあんなにクソだったんだろう?何をどう頑張ったって親と学校と『未成年』という事実に制限されてしまう。あの時代に戻りたい、なんて一度も考えたことがない。

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6月から7月の、沖縄で過ごしていた一ヶ月のうちに、中学生の頃からのインターネットの友人に会った。実質10年来の友人になる彼女は当時からずっと沖縄住まいで、インターネットで交流は続けていたけれど私が沖縄に行くチャンスも特になく、対面では初めましてだった。照れた。照れたけどまったく違和感なく話せる!すごい!

もちろん私も相手もみずからの持てる限りのコミュニケーション能力をフルに発揮しての結果だったのだとは思う、思うけど、こんな、えー?まったくもって友達じゃん。また明日も会いたいよーとなって困った。私の本拠地は東京なんだから会えなくて切ないのは困るよ……の嬉しい悲鳴。

同じ『イラスト描き』としてインターネットで出会った彼女は今、週末デザイナーとして、とにかくイラストとかデザインってやつに関わりながら生きていて、私も描き続けていれば、ともすればこうなれていたのかなと、その裏にある多大なる汗と涙を無視するようで失礼ながらも、違う世界線の自分を見ているみたいにして彼女を眺める。

そして、私としゃべくりながらも息をするみたいに手を動かして制作をする彼女を目の当たりにして、私の背筋はピンとなってしまうのだった。うわーだらだらしてらんねぇな、レザークラフトで作りかけの財布を完成させなきゃ、とか、ふと思いついて野放しにしてる思考をちゃんとどこかに文字として書き留めなきゃ、とか。この世界線の私にできる、微力ながらも世界のためになるような行為を積み重ねていかなくては。賽の河原みたいなこの世で、それでも石のタワーを建てなければ。

彼女の知り合いがハンバーガー屋をちょうど開店するとのことでプレオープンの場に同席させてもらったら、ああここもまた十分に上等な賽の河原のタワー建設が繰り広げられている場所だと感じてすっかりお気に入りのお店になってしまった。店主さんにもお気に入られたみたいなので私は嬉しい。

大人にならなければ沖縄まで彼女たちに会いに来れなかった。子供のままだったら私たち対面できてなかったもんね。生きてりゃ良いことあるでしょって思想の押し付けにはひとえにバカと言い続けていきたいけれど、うわーあの時死ななくてセーフだったな、と胸をなでおろせる機会の存在および人との出会いについては今後も見失いませんように。

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7月の、LIBROの新譜のリリースパーティ。数週間前からタイムラインにオフィシャル告知ツイートが出回っていて気配は察知してたのだけど、件の新譜をなんだかんだ買ってなくて聴いてなくてなんだかんだとは何かというと大変貧しい価値観をここで吐露してしまうことになるので恥ずかしい、恥ずかしいが、近頃はCDに3000円とかitunes音源に2400円とかを払うのを渋りがちなのだ。しかしアナログ盤になら3400円を躊躇なく出せるし、ライブのチケットになら8000円もポンと出す。いやポンはちょっと軽快すぎるけども。

加えて、LIBROについてのはっきりとした知識も全然私に蓄えられていなくて、知っているのは田我流とカイザーソゼの『アレかも、、、』(田舎特有のカップルの穏やかな有様がたまらん名曲)のトラックの作者がLIBROなことぐらいで、そのトラックがめちゃくちゃ私好みなのは確かにそうだけどさぁトラックが良いだけならそれは音源でいいじゃんね、いやでも……アレかも、、、どうしよう……の堂々巡りでライブに行くことすら渋ってしまった。チケット、2500円なのに。先ほどの自分理論と既に矛盾している。

でも本当は値段の問題ではない。ヒップホップという未知なる泥沼音楽世界、特にサンプリング文化ってやつがやばくて、掘れば掘るほど出てくる、そんな果てのないものに恐る恐る足を突っ込んで以来、彼/彼女たちの言葉の強さはライブでこそ味わうものだと理解したことを思い出して結局ライブに足を運べば、一曲一曲がちゃんと際立っていて、音源を聴いていない人間でもその場で身体を揺らせるような空間で、行って正解だった。バンザイ。

最初の、漢a.k.a.GAMIとLIBROとのセッションで特に極まって、初めて生で聴く漢のもごもご絶妙に耳を傾けてしまうライミングもさながら『マイクロフォンコントローラー』という曲にときめく。


LIBRO/マイクロフォンコントローラー  ZAI10

この世に何百万、何千万どころではなくこれからももっともっと増える音楽たちの中からたったひとつを、私は私の人生という、地球の誕生日から現在までの期間のうち何っ…何分の一なんですか?、って感じの限られた時間で見つけ出していく。

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夏だからか知らないけどとにかく生活を改善したくて、枕をあのホテル仕様のふわふわなやつに変えたいとか、傷んできたタオルを取り替えたいとか、傷んできた服や下着を取り替えたいとか、靴擦れの危険のある靴を調整して履けるようにしたいとか、そういう欲望とは皆さんどうやって折り合いをつけて生きているんですか?人生をまだ一回しか生きたことがなくて、そのへんの具合がわからない。

沖縄、青い海、青い空、白い雲、全身小麦色の金髪ギャル

沖縄で潜るの4回目にしてやっとアデヤカバイカナマコ見つけてめちゃくちゃ感動した。大きくて!質量が!どっしり!

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アデヤカバイカナマコは大型だと体長80cmにも達する大きいやつで、しかも腹面がひだ状=フリルっぽくなっててかわいい。ナマコ界のロリータ要員。図鑑の写真で見るよりフリフリではなかったけどかわいい。断面でいうと長辺が下にある台形だから安定感がすごい。今後「好きなナマコどれ?」って聞かれたらとりあえずアデヤカバイカナマコって答えようと思う。そんな質問してきそうな知り合いいないけど。

ガイドさんに向かってアデヤカバイカナマコ投げつけたらナイスな写真撮ってもらえた。右側の、遠くにいるのは旦那です(五七五)。

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一方こちらは幸村誠による漫画を原作にした谷口悟朗監督のテレビアニメ『プラネテス』の画像です。

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構図が似ている。

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また、こちらはマーベル・スタジオが製作、ウォルト・ディズニー・スタジオ・モーション・ピクチャーズが配給するアメリカ合衆国のスーパーヒーロー映画『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』の画像です。

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アハ体験をどうぞ。

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おわかりいただけただろうか……。



さて食べ物の話。

みんな大好き『A&W』、国際通り牧志店は客数が多いからかルートビアが他のドリンクと同じく紙コップで出される仕様らしかった。ルートビアラブ人間(旦那)としてはジョッキで出てきてほしいとのことなので那覇新都心おもろ店まで足を伸ばしたら予想通りジョッキで出てきたし、お代わりもわざわざ店員さんが席まで聞きに来てくれた。幹線道路のガソリンスタンドに併設されてて田舎を感じる。田舎だし。抑揚も省略もないアンドロイドみたいな喋り方の女性店員さんにびっくりしたけど丁寧に応対してくれてるのはわかるしなかなか見られないタイプの人間だから面白いしそのまま名物になってほしい。

あぐー!あぐー!なんかそういう名前の沖縄産の豚肉を『豚しゃぶ専門店 我那覇豚肉店』にて、夜は高そうなので、というかそこまで豚肉に対する熱意がないので、ランチの1000円ほどの豚しゃぶセットを食べた。大抵のお肉はおいしい。薬味に出てきたシークヮーサー味噌が二アリー柚子味噌でおいしかったので自宅用にお土産で欲しい。暑い気候の下で飲むアイスコーヒーはどうしてあんなにおいしいんだろう、これ沖縄にいる間にあと10回は思いそう。

沖縄でごはんに困った時はとりあえず沖縄そばを目指せばよいことに気づきつつある。『田舎 公設市場南店』のソーキそばはソーキがおいしかった。沖縄そば、悪く言えば「薄いツユにまったく味がしみてない麺」「麺の湯切り雑なんじゃねーの」って感じなのだけど(沖縄そば 悪く言えば ってちょっと韻踏んでるな)、散々昼間にサンサン太陽に(←この韻はわざと)照らされた後の夕暮れに食べると謎のおいしさがある。いろんな店の沖縄そば食べてるけど今のところ『沖縄そば 元祖ソーキそばの店 我部祖河食堂』のが総合的に一番おいしかった、たいへん趣のあるサイトですね我部祖河食堂。実際に元祖なのかしら。汚い世界で生きてきたから疑ってしまう。



何度か同じボートに乗り合わせている某ダイビングショップのガイドさん通称Yちゃんが全身小麦色の金髪ギャルで超好き。

酒やけなのか掠れた声とか、潜る時に足に履くフィンの色が鮮やかなオレンジ色でアヒルっぽいところとか、彼女が履いてるサーフパンツの模様に言及したらこれはどこそこのブランドで何々っていうお店にいくらで売ってるけど今たぶんセールで半額になってて~~とそこまで聞いてないのに詳しく教えてくれる気さくなところとか、色白のゲストさんに「ちょっとは日焼けしないと渋くないよ!」と個人的な価値観を無邪気に押し付けてたところとか、私がお世話になってるショップのガイドさんから「彼女はこの船のマスコットガールって感じだよ」と言われていて皆に愛されている感じとか、とにかくいろいろたまらんのです。

一室しかないトイレの前でバッタリ会ったから「Yちゃん先にどうぞ」とニッコリしたら「うおーんありがとう!」って眉根を寄せられて、住んでる世界が違いすぎて恥ずかしくて私からはめったに話しかけられないけど数少ない彼女とのなんでもない会話が幸せなんだよなぁ、ああ良い子……。

そう、「住んでる世界が違う」という気後れを、ボートの上でしばしばあらゆる他人に対して感じる。二、三人でひっきりなしにしゃべり続ける妙齢の女性グループとか(元気すぎるだろ)、ナマコへの愛をチラ見せすると「なにかナマコの研究とかされてるんですか?」と問うてきて「そういう理由でもないと普通ナマコなんかに興味持たないでしょ?」という経験不足な自己解釈をありありと滲ませる人とか。ふん。ナマコはおまえとか私と違って無性生殖できるんだぞ。

これからの私の人生がどう転んだとしても本質的に同類にはなれないと思わせられる人間が世の中に沢山いる。東京に住んでても沖縄にバカンスに来ても変わらないその事実が時々私を疲弊させるけど、それでもYちゃんみたいにその境界線をグワッと超えた魅力を持つ人間に簡単に救われてしまう瞬間があって、とにかくいろいろたまらんのです、たまらんよね、人生ってやつはねえ。