ギュッと五臓六腑

それでも石のタワーを建てなければ

この時代に生まれて良かった、という牧歌的な感情をポケモンGOのせいで抱いている。小学生の頃の自分に教えてあげたいよ、まさか他人とリアルに「あっちにピカチュウいたよ」って会話をするなんて。「ポケモン捕まえに行きたいよー」って部屋の中でそわそわするなんて。ポケモンを捕まえに行きたい、っていうこの気持ちは何なの?ぶるぶるっ。

当然みたいに皆ポケモンを探している。自宅近くのポケスポットを辿っていて、この公園はイスとテーブルが揃ってていいね/猫が常に3匹くらい滞留してる広場がある!/この『インベーダー』って名前の場所どこ?、って発見するのも、もうなにもかもがいちいちたまらん。

でも今もし私が小学生だったら、スマホを自由に持てる環境……つまり家庭の貧富とか教育方針、だったかは怪しくて、だから、この時代に大人でいれて私はラッキーだった。大人は最高で、労働をすれば自分の好きにお金と時間を使える。私の『好き』は音楽と本とダイビングと、あとは明文化できないくらいに当たり前になってしまっているいくつかの楽しみと。仕事終わりに食べるドーナツとか。

子供時代って一体どうしてあんなにクソだったんだろう?何をどう頑張ったって親と学校と『未成年』という事実に制限されてしまう。あの時代に戻りたい、なんて一度も考えたことがない。

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6月から7月の、沖縄で過ごしていた一ヶ月のうちに、中学生の頃からのインターネットの友人に会った。実質10年来の友人になる彼女は当時からずっと沖縄住まいで、インターネットで交流は続けていたけれど私が沖縄に行くチャンスも特になく、対面では初めましてだった。照れた。照れたけどまったく違和感なく話せる!すごい!

もちろん私も相手もみずからの持てる限りのコミュニケーション能力をフルに発揮しての結果だったのだとは思う、思うけど、こんな、えー?まったくもって友達じゃん。また明日も会いたいよーとなって困った。私の本拠地は東京なんだから会えなくて切ないのは困るよ……の嬉しい悲鳴。

同じ『イラスト描き』としてインターネットで出会った彼女は今、週末デザイナーとして、とにかくイラストとかデザインってやつに関わりながら生きていて、私も描き続けていれば、ともすればこうなれていたのかなと、その裏にある多大なる汗と涙を無視するようで失礼ながらも、違う世界線の自分を見ているみたいにして彼女を眺める。

そして、私としゃべくりながらも息をするみたいに手を動かして制作をする彼女を目の当たりにして、私の背筋はピンとなってしまうのだった。うわーだらだらしてらんねぇな、レザークラフトで作りかけの財布を完成させなきゃ、とか、ふと思いついて野放しにしてる思考をちゃんとどこかに文字として書き留めなきゃ、とか。この世界線の私にできる、微力ながらも世界のためになるような行為を積み重ねていかなくては。賽の河原みたいなこの世で、それでも石のタワーを建てなければ。

彼女の知り合いがハンバーガー屋をちょうど開店するとのことでプレオープンの場に同席させてもらったら、ああここもまた十分に上等な賽の河原のタワー建設が繰り広げられている場所だと感じてすっかりお気に入りのお店になってしまった。店主さんにもお気に入られたみたいなので私は嬉しい。

大人にならなければ沖縄まで彼女たちに会いに来れなかった。子供のままだったら私たち対面できてなかったもんね。生きてりゃ良いことあるでしょって思想の押し付けにはひとえにバカと言い続けていきたいけれど、うわーあの時死ななくてセーフだったな、と胸をなでおろせる機会の存在および人との出会いについては今後も見失いませんように。

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7月の、LIBROの新譜のリリースパーティ。数週間前からタイムラインにオフィシャル告知ツイートが出回っていて気配は察知してたのだけど、件の新譜をなんだかんだ買ってなくて聴いてなくてなんだかんだとは何かというと大変貧しい価値観をここで吐露してしまうことになるので恥ずかしい、恥ずかしいが、近頃はCDに3000円とかitunes音源に2400円とかを払うのを渋りがちなのだ。しかしアナログ盤になら3400円を躊躇なく出せるし、ライブのチケットになら8000円もポンと出す。いやポンはちょっと軽快すぎるけども。

加えて、LIBROについてのはっきりとした知識も全然私に蓄えられていなくて、知っているのは田我流とカイザーソゼの『アレかも、、、』(田舎特有のカップルの穏やかな有様がたまらん名曲)のトラックの作者がLIBROなことぐらいで、そのトラックがめちゃくちゃ私好みなのは確かにそうだけどさぁトラックが良いだけならそれは音源でいいじゃんね、いやでも……アレかも、、、どうしよう……の堂々巡りでライブに行くことすら渋ってしまった。チケット、2500円なのに。先ほどの自分理論と既に矛盾している。

でも本当は値段の問題ではない。ヒップホップという未知なる泥沼音楽世界、特にサンプリング文化ってやつがやばくて、掘れば掘るほど出てくる、そんな果てのないものに恐る恐る足を突っ込んで以来、彼/彼女たちの言葉の強さはライブでこそ味わうものだと理解したことを思い出して結局ライブに足を運べば、一曲一曲がちゃんと際立っていて、音源を聴いていない人間でもその場で身体を揺らせるような空間で、行って正解だった。バンザイ。

最初の、漢a.k.a.GAMIとLIBROとのセッションで特に極まって、初めて生で聴く漢のもごもご絶妙に耳を傾けてしまうライミングもさながら『マイクロフォンコントローラー』という曲にときめく。


LIBRO/マイクロフォンコントローラー  ZAI10

この世に何百万、何千万どころではなくこれからももっともっと増える音楽たちの中からたったひとつを、私は私の人生という、地球の誕生日から現在までの期間のうち何っ…何分の一なんですか?、って感じの限られた時間で見つけ出していく。

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夏だからか知らないけどとにかく生活を改善したくて、枕をあのホテル仕様のふわふわなやつに変えたいとか、傷んできたタオルを取り替えたいとか、傷んできた服や下着を取り替えたいとか、靴擦れの危険のある靴を調整して履けるようにしたいとか、そういう欲望とは皆さんどうやって折り合いをつけて生きているんですか?人生をまだ一回しか生きたことがなくて、そのへんの具合がわからない。

沖縄、青い海、青い空、白い雲、全身小麦色の金髪ギャル

沖縄で潜るの4回目にしてやっとアデヤカバイカナマコ見つけてめちゃくちゃ感動した。大きくて!質量が!どっしり!

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アデヤカバイカナマコは大型だと体長80cmにも達する大きいやつで、しかも腹面がひだ状=フリルっぽくなっててかわいい。ナマコ界のロリータ要員。図鑑の写真で見るよりフリフリではなかったけどかわいい。断面でいうと長辺が下にある台形だから安定感がすごい。今後「好きなナマコどれ?」って聞かれたらとりあえずアデヤカバイカナマコって答えようと思う。そんな質問してきそうな知り合いいないけど。

ガイドさんに向かってアデヤカバイカナマコ投げつけたらナイスな写真撮ってもらえた。右側の、遠くにいるのは旦那です(五七五)。

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一方こちらは幸村誠による漫画を原作にした谷口悟朗監督のテレビアニメ『プラネテス』の画像です。

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構図が似ている。

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また、こちらはマーベル・スタジオが製作、ウォルト・ディズニー・スタジオ・モーション・ピクチャーズが配給するアメリカ合衆国のスーパーヒーロー映画『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』の画像です。

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アハ体験をどうぞ。

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おわかりいただけただろうか……。



さて食べ物の話。

みんな大好き『A&W』、国際通り牧志店は客数が多いからかルートビアが他のドリンクと同じく紙コップで出される仕様らしかった。ルートビアラブ人間(旦那)としてはジョッキで出てきてほしいとのことなので那覇新都心おもろ店まで足を伸ばしたら予想通りジョッキで出てきたし、お代わりもわざわざ店員さんが席まで聞きに来てくれた。幹線道路のガソリンスタンドに併設されてて田舎を感じる。田舎だし。抑揚も省略もないアンドロイドみたいな喋り方の女性店員さんにびっくりしたけど丁寧に応対してくれてるのはわかるしなかなか見られないタイプの人間だから面白いしそのまま名物になってほしい。

あぐー!あぐー!なんかそういう名前の沖縄産の豚肉を『豚しゃぶ専門店 我那覇豚肉店』にて、夜は高そうなので、というかそこまで豚肉に対する熱意がないので、ランチの1000円ほどの豚しゃぶセットを食べた。大抵のお肉はおいしい。薬味に出てきたシークヮーサー味噌が二アリー柚子味噌でおいしかったので自宅用にお土産で欲しい。暑い気候の下で飲むアイスコーヒーはどうしてあんなにおいしいんだろう、これ沖縄にいる間にあと10回は思いそう。

沖縄でごはんに困った時はとりあえず沖縄そばを目指せばよいことに気づきつつある。『田舎 公設市場南店』のソーキそばはソーキがおいしかった。沖縄そば、悪く言えば「薄いツユにまったく味がしみてない麺」「麺の湯切り雑なんじゃねーの」って感じなのだけど(沖縄そば 悪く言えば ってちょっと韻踏んでるな)、散々昼間にサンサン太陽に(←この韻はわざと)照らされた後の夕暮れに食べると謎のおいしさがある。いろんな店の沖縄そば食べてるけど今のところ『沖縄そば 元祖ソーキそばの店 我部祖河食堂』のが総合的に一番おいしかった、たいへん趣のあるサイトですね我部祖河食堂。実際に元祖なのかしら。汚い世界で生きてきたから疑ってしまう。



何度か同じボートに乗り合わせている某ダイビングショップのガイドさん通称Yちゃんが全身小麦色の金髪ギャルで超好き。

酒やけなのか掠れた声とか、潜る時に足に履くフィンの色が鮮やかなオレンジ色でアヒルっぽいところとか、彼女が履いてるサーフパンツの模様に言及したらこれはどこそこのブランドで何々っていうお店にいくらで売ってるけど今たぶんセールで半額になってて~~とそこまで聞いてないのに詳しく教えてくれる気さくなところとか、色白のゲストさんに「ちょっとは日焼けしないと渋くないよ!」と個人的な価値観を無邪気に押し付けてたところとか、私がお世話になってるショップのガイドさんから「彼女はこの船のマスコットガールって感じだよ」と言われていて皆に愛されている感じとか、とにかくいろいろたまらんのです。

一室しかないトイレの前でバッタリ会ったから「Yちゃん先にどうぞ」とニッコリしたら「うおーんありがとう!」って眉根を寄せられて、住んでる世界が違いすぎて恥ずかしくて私からはめったに話しかけられないけど数少ない彼女とのなんでもない会話が幸せなんだよなぁ、ああ良い子……。

そう、「住んでる世界が違う」という気後れを、ボートの上でしばしばあらゆる他人に対して感じる。二、三人でひっきりなしにしゃべり続ける妙齢の女性グループとか(元気すぎるだろ)、ナマコへの愛をチラ見せすると「なにかナマコの研究とかされてるんですか?」と問うてきて「そういう理由でもないと普通ナマコなんかに興味持たないでしょ?」という経験不足な自己解釈をありありと滲ませる人とか。ふん。ナマコはおまえとか私と違って無性生殖できるんだぞ。

これからの私の人生がどう転んだとしても本質的に同類にはなれないと思わせられる人間が世の中に沢山いる。東京に住んでても沖縄にバカンスに来ても変わらないその事実が時々私を疲弊させるけど、それでもYちゃんみたいにその境界線をグワッと超えた魅力を持つ人間に簡単に救われてしまう瞬間があって、とにかくいろいろたまらんのです、たまらんよね、人生ってやつはねえ。

沖縄、青い海、青い空、白い雲、逃げられない現実

沖縄で2回目のダイビング。

カメ、近づいても撫でても逃げなかった、どころか顔を寄せてきたからそのままレギュレータ越しにキスした。カメ、泳ぐの上手だし、肺呼吸は止めてずっと水の中に居続けられる方が便利そう。

ダイビングでは潜った後にログブックという専用用紙に場所とか器材とか気温水温エトセトラの記録をつける習慣があって、フリースペースがあるので私はそこに人に見せるのは恥ずかしいタイプの落書きをしている。

シカクナマコ初めて見た。バイカナマコと同様に固くて無機質でおもちゃみたい。シカクナマコは小さいし軽いし投げたくなる。バイカナマコは大きいし質量どっしりなので小脇に抱える用という感じ。

ジャノメナマコも初めて見た。名前の通り蛇の目の模様のナマコだから海の中でさぞ目立っているんでしょうねと油断してたら私が素通りした岩場の陰で旦那が見つけてくれてびっくりした。なんでこんな気持ち悪い模様なんだろうと疑問だったけど解が得られてよかった、岩場に蛇の目の模様だと同化してまったく目立たないからなのね。ジャノメナマコは賢い(遺伝発生してるだけだから賢いわけではないけど)(脳無いしなナマコ)(旦那、ジャノメナマコ見つけてくれたから先日の『ものものしい』事件のことは許してやろう)。

前に潜った時にイシナマコだと同定したやつは間違いだったっぽくて、本当のイシナマコは白いらしい。黒くて楕円形で固くて表面にイボがなくてごくごく小さい凹凸に砂をまとってるナマコは何ナマコなんだろう。クロナマコがビビッて小さくなった状態かなぁ。

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沖縄で3回目のダイビング。

近場にいるナマコを一カ所に集めて並べたもの、それすなわちナマコパラダイス。今回はクロナマコ、バイカナマコ、シカクナマコがそれぞれ1匹ずつと、ジャノメナマコ2匹で、計5匹のパラダイスができあがった。嬉しい。みんなで仲良くやってくれよな。

コブシメというイカ、視界の端をスイーッと通って行ってUFOみたいだった。思わず二度見した。イカは(そしてタコも)体色をパッと変えれるのですごいやつ。

インストラクタさん♂がゴマモンガラという縄張り意識の強いヤンキーみたいな魚に追い回されて「ほんまうっざいわアイツ」と愚痴をこぼしていたけど、エンターテイメント性があって蚊帳の外から見るぶんには楽しかったので、またぜひ追い回されてほしい。私は何者にも追い回されたくないけど。

ダイビングショップの都合で知らない他のお客さんと一緒に潜ることがままある。今日もそうだった。下手をすれば命の危険があるダイビングを一緒にして、海の中でナマコを触って笑い合うこともあるのに、陸に上がっても連絡先の交換はしなくて「また会えたらいいね」ってバイバイするの、不思議な感じがする。

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ごはんの写真を撮るのがとても苦手なのでこのインターネット時代にテキスト情報だけの食の話をします。

国際通りの『フィーチャー多幸寿』、じゃないや『チャーリー多幸寿』、ちゃーりーたこす、です。フィーチャーは一体私のどこから出てきたんだろう。初めてタコス食べた、おいしかった、690円でビーフ・チキン・ツナの3種類のタコス食べれるのお得感あってニコニコ。メキシコ料理って常にこんなジャンキーなのかしら、ジャンキーに無理やり野菜を添えました的な。褒めてます。タコスってオクトパスの方のタコは関係ないんですね、タコのオスの足8本のうち1本の先端はメスに精子の入ったカプセルを渡す仕様になってるのかっこいいよね。

同じく国際通りの『わらゆい』でじゅーしー食べた。じゅーしー、沖縄風炊き込みごはんで、大抵の炊き込みごはんっておいしいと思うんだけどこれも沖縄のどこのお店で食べてもおいしい。それにしても沖縄のどこのお店でも「沖縄そばandおかずの乗った米」みたいな定食セット用意されてるのはなんなんだよ、炭水化物取りすぎだろ、糖質制限の沖縄人はどうやって生きてるんだよ。あっ島豆腐か(ひらめき)。

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夜、また旦那とケンカした。沖縄来てから2日おきに勃発してて不穏。

旦那の言葉尻を私がとらえる、という傾向は常日頃から確かにあるのだけど、東京にいる時と違って、沖縄に旅行してる最中は「離れることなくずっと一緒にいるから単純に接触時間が多くて諍いの起こる可能性が上がる」「お互い一人の時間が無いから心のチルアウトができない」「暑くて体力がガンガン削がれていく」「慣れない住宅環境」というのが原因にありそう。旅行前からこうなるだろうなとは薄々思ってたから他人からの「一ヶ月も沖縄にいるなんて最高だね」って羨望にハハハ〜って半笑いしかできなかったな。

ちょっと景色のいい場所に来たからって私の元来のストレス耐性の弱さは直らないし海に潜る寸前の死への恐怖はふとした拍子で顔を出すし惨めな過去だって消えないし肉親の介護とか死別とか子どもを産む産まないの将来的な問題は山積みで何も解決しない。気分転換を簡単にできるというのも才能で、ダメな自分からひとときでも目もそらせない私は相変わらず生きづらい。

沖縄、青い海、青い空、白い雲、クソな自分

飛行機、何回乗っても慣れなくて、航空事故から坂本九を連想して思いを馳せてしまうのやめたい。上をむぅうういてぇあぁぁるこおぉおう♪もっと気楽にさーアタシ、飛行機君のこと、鉄の棺桶じゃなくて鉄のゆりかごだと思えるようになりたいな。機体が空中分解して海に落ちるという自分の誇大妄想が怖くて(妄想に誇大とかなくない?)、無心になるためにじゃがりこガリガリガリガリ食べて寝たら那覇に着いてて自衛隊機がサメみたいで格好よくてぷるぷるえへー。オスプレイ乗ってみたい。梅雨だとおうかがいはしていましたけれどもスコールッッッて感じの豪雨に亜熱帯を実感させられてため息。湿度がやばい。ただでさえ夏が嫌いなのにこれから一ヶ月も沖縄で過ごすなんて。宿泊場所の近くには旦那が待望のA&Wがあって、さらにバーガーキングもあって、ジャンクフードの食べたさには素直でいられそう。A&Wルートビアってビールじゃないの……!?A&Wルートビアのあるバーガーキング、という雑なレッテルを貼っておいた。沖縄の夜ごはん、何を食べればいいかわからなくてとりあえず旦那の好みに合わせておこうと『まぜ麺まほろば』に行ったらおいしいまぜ麺でよかった。東京でも食べたい味だった。旦那、柚子味噌?柚子胡椒?が好きで、ごはん屋さんで出てくるたびに「俺これ好きなんだよね」って言ってくるぐらいだから自宅で食べる用に買えばいいのにと思う。

初めまして沖縄ダイビングだった。慶良間諸島の、座間味島の七番崎、黒島の北ツインロック。地形がいちいちダイナミックで、水中で切り立ってる崖とか、怖くてしばらく呼吸安定しなくて焦る。バイカナマコとクロエリナマコとニセクロナマコが3匹集会してて激萌え。同じ長さのナマコが3匹並行に並んでるなんて人為的だったけどなんだったんだろう。バイカナマコ、表面の梅花っぽいところが無機質でおもちゃみたいでかわいかった。イシナマコ、硬くてコロコロしててかわいかった。黒地の表面に白い砂をまとってるから、よくダイバーが指で文字を書いて残していくらしい。沖縄のナマコ、数自体は多くないけど、いちいち大きいので抱きしめたい欲がすごい。抱き枕にしたい。アデヤカバイカナマコまだ見つけてない、見つけて抱き抱えたい。ダキカカエタイって漢字で書くと頭痛が痛いと同じ属性になってしまう感じある。ダイビングに疲れてぐうぐう寝て起きたら0時ごろで、朝までやっているらしい『大福そば』という大衆食堂でチャンポンと沖縄そばを食べる。沖縄でのチャンポンの意味するところは野菜炒めのっけごはん。野菜をおかずに白米を食べるの苦手だったんだけどここのは大丈夫だった。野菜いっぱい乗ってるし入り卵も豚肉の千切り?みたいなのも入ってたし健康にも悪くな……ないかな?どうかな。

沖縄に、沖映通り、という、モノレール見栄橋駅から、観光客で溢れかえる国際通りに側面からゴッと突き当たる通りがあって、これは今はなき映画館『沖映本館』が名前の由来。私が「映画館の跡地の雰囲気って独特だよね、なんかものものしいよね」と言ったら旦那に「『ものものしい』は用法として間違ってる」と指摘される。いやものものしいって怖いとか触れてはいけないとかそういう感じでしょ私の主観でそう感じたんだから間違ってないよ、と抵抗しても間違ってるでしょの一点ばりで「そもそもものものしいの意味わかって使ってんの?」とのこと。憶測で言い合っても仕方ないので調べる。「1 重々しくきびしい。いかにもいかめしい。また、大げさである。 2 容姿・態度などが、堂々としている。威厳がある」。うんうん、「合ってるじゃん、容易に近づけない雰囲気だよね、って意味で私この言葉使ったよ」と言うと無視された。悲しい。悲しいっていうか私はムカついてて、非は認めて謝れよと思うし、うーん多分この人、自分の知識とか経験を強固にしすぎて更新できないタイプか、もしくは自分の知識とか経験に齟齬のあることを私に言われたらひとまず私の方を間違ってるとみなす程度には私のことバカにしてるかのどちらかなんだろうなと思う。そういうの、他人が相手なら、勝手にやって周囲から嫌われればいいじゃんねー?、で済ませられるけど、彼が相手であれば将来的に一番消耗させられるのは私だ。離婚しない限り。家族からは逃げられない。こういう言い方はいかにも女性的で恥ずかしいけど同様の諍いは前からあって、そのたびに流してきたけど、あと何回で耐えられなくなってしまうんだろう。

映画『 ちはやふる 上の句』はスクールカースト最下部だった俺達を救う物語

みんな!エスパーだよ!』然り『ライチ 光クラブ』然り、漫画が原作の邦画には期待せずに臨むことにしているし観終わってみても実際にそれで正しかったなぁと感じること必至だったのだけど『ちはやふる 上の句』は完成度高いし切なくて泣いてしまうしで例外だった。


「ちはやふる -上の句・下の句-」予告

あらすじ

綾瀬千早(あやせちはや/広瀬すず)、真島太一(ましまたいち/野村周平)、綿谷新(わたやあらた/真剣佑)の3人は幼なじみ。新に教わった“競技かるた”でいつも一緒に遊んでいた。そして千早は新の“競技かるた”に懸ける情熱に、夢を持つということを教えてもらった。そんな矢先、家の事情で新が故郷の福井へ戻り、はなればなれになってしまう。
(中略)
高校生になった千早は、新に会いたい一心で“競技かるた部”創部を決意、高校で再会した太一とともに、部員集めに奔走する。
呉服屋の娘で古典大好き少女・大江奏(おおえかなで/上白石萌音)、小学生時代に千早たちと対戦したことのある、競技かるた経験者で“肉まんくん”こと、西田優征(にしだゆうせい/矢本悠馬)、太一に次いで学年2位の秀才・“机くん”こと、駒野勉(こまのつとむ/森永悠希)を必死に勧誘、なんとか5名の部員を集め、創部に成功。
http://chihayafuru-movie.com/sp/story/index.html

机くん

陰気な眼鏡キャラ『机くん』、「百人一首を知らない」「部活なんて暑苦しくて無駄だと思ってる」「団体行動は苦手」「周囲への劣等感」を具現化させたキャラで、感情移入しまくり。彼の、いわゆる”オタク”と呼ばれてしまうタイプの人間独特の卑屈な一挙手一投足が理解できてしまう。最初は千早達に冷たい態度をとってるのに目線がどんどん満更でもなくなって温かみを帯びてきてウーンこんな俺でもみんなのためにできることって……そうだあれだ!と一歩間違えば空回りな貢献を試みるところとか、自分のハリボテの実力なんぞでは皆の期待には応えられないと分かった瞬間にカッと恥ずかしくなって全部放り投げて逃げ出してしまいたくなるところとか、そうならないためにいつもは予防線を張って嘲笑すら涼しい顔で受け流(せるように努力)しているのに、いざイベント事で頼られたら悪態を吐きながらも頑張ってしまうところとかね。思い出したくない記憶が重なって辛いけど、その分だけ愛しさがこみ上げる。

「青春全部かけてから言いなさい」

千早達にとっての師匠である原田先生が、「青春全部かけたって俺はあいつに勝てない」と諦めたようにつぶやく太一に返すセリフ、

(青春全部)かけてから言いなさい。

予告の時点で言葉としての強さにビビッと来てたけど、それまでのストーリーを追ってから聞くと時計が一気に巻き戻るみたいな衝撃が来る。太一の心の闇を払うための唯一の希望なのだよね、「とにかくやり続ける」ってことが。これ、とても汎用的な名言なので、実生活で「どうせ無理だよね」って目をそらしてしまいそうになってしまった時にぜひ反芻したい……。

音楽

音楽での静と動のコントラストが上手で、鳴ってほしい/ほしくないところでちゃんと鳴っている/いない。千早のカルタ集中タイムには、カルタに集中しすぎて、人声は無視、物音しか聞こえない、という表現。劇場全体がシーン……ってなって固唾を呑んで千早を見守っていた。
BGMの種類自体は少ないと思うのに、使い方のおかげで飽きずに楽しめた。切ない場面でかかるやつが好きだったのでサントラほしいなぁ。

アニメーション

百人一首の札の情景の説明でアニメーションが使われていて、個人的には実写映画に非実写要素を混ぜられると、どうしても違和感が出ちゃうよなぁと常々思っていたのだけど、今作ではむしろ華やかさをもたらしてくれていて既成概念がぶち壊されて感動。特にオープニングがね、めまぐるしくて目が離せなかったし、ずっと観ていたかった。デジタルでレトロを表現することについての傑作アニメーションで花丸あげたい。(と思ってよくよく調べてみたらファンタジスタ歌磨呂さんがアニメーションディレクターを担当していてギョエーこれが噂の!)

物語の完成度

物語に論理としての齟齬がないので安心して観ていられた。千早の好きな『新(あらた)』の、覇者の余裕と器量の深さと、存在感を誇張されすぎもせず静かに遠くにいてくれてるんだよって感じで、そりゃ千早はこれ好きになるだろうなぁ/太一も嫉妬するよなぁって納得できるし、千早や太一はカルタの実力があるはずなのになんで苦戦してしまうの?という疑問とそれに対する答えがちゃんと用意されていて、その解決策にも頷ける。全体の軸もぶれていなくて、とどのつまり机くんと太一が救済される作品だ。前後編の前編にあたるわけだけど、今作だけで完結していた。観終わった後にはすがすがしく「さて早く後編(『ちはやふる 下の句』)を観たいね!」と言える。

敵キャラ

北央高校の二人がとても愛らしい。ドSの須藤と、若いころの清竜人に似てるなって感じのやつ。特に後者の方のセリフがいちいちおもしろくてずるかった。

最後に

広瀬すずの演技がわざとらしかったり(特に太一におんぶされてる時)、千早・新・太一の幼少期の雪合戦のシーンがお涙頂戴すぎて冷めたりもしたけど、怒涛の勢いで引き込まれて感動させられて、邦画って悪くないなって思えるし、競技中の気持ちよさなんて何回でも観たい。もし原作を読んだうえで臨んでいたら、ネガティブな評価を下していたのかもしれないなぁとは思う。原作を読み済みな人と、この映画について語り合ってみたい。