ギュッと五臓六腑

沖縄、青い海、青い空、白い雲、逃げられない現実

沖縄で2回目のダイビング。

カメ、近づいても撫でても逃げなかった、どころか顔を寄せてきたからそのままレギュレータ越しにキスした。カメ、泳ぐの上手だし、肺呼吸は止めてずっと水の中に居続けられる方が便利そう。

ダイビングでは潜った後にログブックという専用用紙に場所とか器材とか気温水温エトセトラの記録をつける習慣があって、フリースペースがあるので私はそこに人に見せるのは恥ずかしいタイプの落書きをしている。

シカクナマコ初めて見た。バイカナマコと同様に固くて無機質でおもちゃみたい。シカクナマコは小さいし軽いし投げたくなる。バイカナマコは大きいし質量どっしりなので小脇に抱える用という感じ。

ジャノメナマコも初めて見た。名前の通り蛇の目の模様のナマコだから海の中でさぞ目立っているんでしょうねと油断してたら私が素通りした岩場の陰で旦那が見つけてくれてびっくりした。なんでこんな気持ち悪い模様なんだろうと疑問だったけど解が得られてよかった、岩場に蛇の目の模様だと同化してまったく目立たないからなのね。ジャノメナマコは賢い(遺伝発生してるだけだから賢いわけではないけど)(脳無いしなナマコ)(旦那、ジャノメナマコ見つけてくれたから先日の『ものものしい』事件のことは許してやろう)。

前に潜った時にイシナマコだと同定したやつは間違いだったっぽくて、本当のイシナマコは白いらしい。黒くて楕円形で固くて表面にイボがなくてごくごく小さい凹凸に砂をまとってるナマコは何ナマコなんだろう。クロナマコがビビッて小さくなった状態かなぁ。

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沖縄で3回目のダイビング。

近場にいるナマコを一カ所に集めて並べたもの、それすなわちナマコパラダイス。今回はクロナマコ、バイカナマコ、シカクナマコがそれぞれ1匹ずつと、ジャノメナマコ2匹で、計5匹のパラダイスができあがった。嬉しい。みんなで仲良くやってくれよな。

コブシメというイカ、視界の端をスイーッと通って行ってUFOみたいだった。思わず二度見した。イカは(そしてタコも)体色をパッと変えれるのですごいやつ。

インストラクタさん♂がゴマモンガラという縄張り意識の強いヤンキーみたいな魚に追い回されて「ほんまうっざいわアイツ」と愚痴をこぼしていたけど、エンターテイメント性があって蚊帳の外から見るぶんには楽しかったので、またぜひ追い回されてほしい。私は何者にも追い回されたくないけど。

ダイビングショップの都合で知らない他のお客さんと一緒に潜ることがままある。今日もそうだった。下手をすれば命の危険があるダイビングを一緒にして、海の中でナマコを触って笑い合うこともあるのに、陸に上がっても連絡先の交換はしなくて「また会えたらいいね」ってバイバイするの、不思議な感じがする。

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ごはんの写真を撮るのがとても苦手なのでこのインターネット時代にテキスト情報だけの食の話をします。

国際通りの『フィーチャー多幸寿』、じゃないや『チャーリー多幸寿』、ちゃーりーたこす、です。フィーチャーは一体私のどこから出てきたんだろう。初めてタコス食べた、おいしかった、690円でビーフ・チキン・ツナの3種類のタコス食べれるのお得感あってニコニコ。メキシコ料理って常にこんなジャンキーなのかしら、ジャンキーに無理やり野菜を添えました的な。褒めてます。タコスってオクトパスの方のタコは関係ないんですね、タコのオスの足8本のうち1本の先端はメスに精子の入ったカプセルを渡す仕様になってるのかっこいいよね。

同じく国際通りの『わらゆい』でじゅーしー食べた。じゅーしー、沖縄風炊き込みごはんで、大抵の炊き込みごはんっておいしいと思うんだけどこれも沖縄のどこのお店で食べてもおいしい。それにしても沖縄のどこのお店でも「沖縄そばandおかずの乗った米」みたいな定食セット用意されてるのはなんなんだよ、炭水化物取りすぎだろ、糖質制限の沖縄人はどうやって生きてるんだよ。あっ島豆腐か(ひらめき)。

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夜、また旦那とケンカした。沖縄来てから2日おきに勃発してて不穏。

旦那の言葉尻を私がとらえる、という傾向は常日頃から確かにあるのだけど、東京にいる時と違って、沖縄に旅行してる最中は「離れることなくずっと一緒にいるから単純に接触時間が多くて諍いの起こる可能性が上がる」「お互い一人の時間が無いから心のチルアウトができない」「暑くて体力がガンガン削がれていく」「慣れない住宅環境」というのが原因にありそう。旅行前からこうなるだろうなとは薄々思ってたから他人からの「一ヶ月も沖縄にいるなんて最高だね」って羨望にハハハ〜って半笑いしかできなかったな。

ちょっと景色のいい場所に来たからって私の元来のストレス耐性の弱さは直らないし海に潜る寸前の死への恐怖はふとした拍子で顔を出すし惨めな過去だって消えないし肉親の介護とか死別とか子どもを産む産まないの将来的な問題は山積みで何も解決しない。気分転換を簡単にできるというのも才能で、ダメな自分からひとときでも目もそらせない私は相変わらず生きづらい。

沖縄、青い海、青い空、白い雲、クソな自分

飛行機、何回乗っても慣れなくて、航空事故から坂本九を連想して思いを馳せてしまうのやめたい。上をむぅうういてぇあぁぁるこおぉおう♪もっと気楽にさーアタシ、飛行機君のこと、鉄の棺桶じゃなくて鉄のゆりかごだと思えるようになりたいな。機体が空中分解して海に落ちるという自分の誇大妄想が怖くて(妄想に誇大とかなくない?)、無心になるためにじゃがりこガリガリガリガリ食べて寝たら那覇に着いてて自衛隊機がサメみたいで格好よくてぷるぷるえへー。オスプレイ乗ってみたい。梅雨だとおうかがいはしていましたけれどもスコールッッッて感じの豪雨に亜熱帯を実感させられてため息。湿度がやばい。ただでさえ夏が嫌いなのにこれから一ヶ月も沖縄で過ごすなんて。宿泊場所の近くには旦那が待望のA&Wがあって、さらにバーガーキングもあって、ジャンクフードの食べたさには素直でいられそう。A&Wルートビアってビールじゃないの……!?A&Wルートビアのあるバーガーキング、という雑なレッテルを貼っておいた。沖縄の夜ごはん、何を食べればいいかわからなくてとりあえず旦那の好みに合わせておこうと『まぜ麺まほろば』に行ったらおいしいまぜ麺でよかった。東京でも食べたい味だった。旦那、柚子味噌?柚子胡椒?が好きで、ごはん屋さんで出てくるたびに「俺これ好きなんだよね」って言ってくるぐらいだから自宅で食べる用に買えばいいのにと思う。

初めまして沖縄ダイビングだった。慶良間諸島の、座間味島の七番崎、黒島の北ツインロック。地形がいちいちダイナミックで、水中で切り立ってる崖とか、怖くてしばらく呼吸安定しなくて焦る。バイカナマコとクロエリナマコとニセクロナマコが3匹集会してて激萌え。同じ長さのナマコが3匹並行に並んでるなんて人為的だったけどなんだったんだろう。バイカナマコ、表面の梅花っぽいところが無機質でおもちゃみたいでかわいかった。イシナマコ、硬くてコロコロしててかわいかった。黒地の表面に白い砂をまとってるから、よくダイバーが指で文字を書いて残していくらしい。沖縄のナマコ、数自体は多くないけど、いちいち大きいので抱きしめたい欲がすごい。抱き枕にしたい。アデヤカバイカナマコまだ見つけてない、見つけて抱き抱えたい。ダキカカエタイって漢字で書くと頭痛が痛いと同じ属性になってしまう感じある。ダイビングに疲れてぐうぐう寝て起きたら0時ごろで、朝までやっているらしい『大福そば』という大衆食堂でチャンポンと沖縄そばを食べる。沖縄でのチャンポンの意味するところは野菜炒めのっけごはん。野菜をおかずに白米を食べるの苦手だったんだけどここのは大丈夫だった。野菜いっぱい乗ってるし入り卵も豚肉の千切り?みたいなのも入ってたし健康にも悪くな……ないかな?どうかな。

沖縄に、沖映通り、という、モノレール見栄橋駅から、観光客で溢れかえる国際通りに側面からゴッと突き当たる通りがあって、これは今はなき映画館『沖映本館』が名前の由来。私が「映画館の跡地の雰囲気って独特だよね、なんかものものしいよね」と言ったら旦那に「『ものものしい』は用法として間違ってる」と指摘される。いやものものしいって怖いとか触れてはいけないとかそういう感じでしょ私の主観でそう感じたんだから間違ってないよ、と抵抗しても間違ってるでしょの一点ばりで「そもそもものものしいの意味わかって使ってんの?」とのこと。憶測で言い合っても仕方ないので調べる。「1 重々しくきびしい。いかにもいかめしい。また、大げさである。 2 容姿・態度などが、堂々としている。威厳がある」。うんうん、「合ってるじゃん、容易に近づけない雰囲気だよね、って意味で私この言葉使ったよ」と言うと無視された。悲しい。悲しいっていうか私はムカついてて、非は認めて謝れよと思うし、うーん多分この人、自分の知識とか経験を強固にしすぎて更新できないタイプか、もしくは自分の知識とか経験に齟齬のあることを私に言われたらひとまず私の方を間違ってるとみなす程度には私のことバカにしてるかのどちらかなんだろうなと思う。そういうの、他人が相手なら、勝手にやって周囲から嫌われればいいじゃんねー?、で済ませられるけど、彼が相手であれば将来的に一番消耗させられるのは私だ。離婚しない限り。家族からは逃げられない。こういう言い方はいかにも女性的で恥ずかしいけど同様の諍いは前からあって、そのたびに流してきたけど、あと何回で耐えられなくなってしまうんだろう。

映画『 ちはやふる 上の句』はスクールカースト最下部だった俺達を救う物語

みんな!エスパーだよ!』然り『ライチ 光クラブ』然り、漫画が原作の邦画には期待せずに臨むことにしているし観終わってみても実際にそれで正しかったなぁと感じること必至だったのだけど『ちはやふる 上の句』は完成度高いし切なくて泣いてしまうしで例外だった。


「ちはやふる -上の句・下の句-」予告

あらすじ

綾瀬千早(あやせちはや/広瀬すず)、真島太一(ましまたいち/野村周平)、綿谷新(わたやあらた/真剣佑)の3人は幼なじみ。新に教わった“競技かるた”でいつも一緒に遊んでいた。そして千早は新の“競技かるた”に懸ける情熱に、夢を持つということを教えてもらった。そんな矢先、家の事情で新が故郷の福井へ戻り、はなればなれになってしまう。
(中略)
高校生になった千早は、新に会いたい一心で“競技かるた部”創部を決意、高校で再会した太一とともに、部員集めに奔走する。
呉服屋の娘で古典大好き少女・大江奏(おおえかなで/上白石萌音)、小学生時代に千早たちと対戦したことのある、競技かるた経験者で“肉まんくん”こと、西田優征(にしだゆうせい/矢本悠馬)、太一に次いで学年2位の秀才・“机くん”こと、駒野勉(こまのつとむ/森永悠希)を必死に勧誘、なんとか5名の部員を集め、創部に成功。
http://chihayafuru-movie.com/sp/story/index.html

机くん

陰気な眼鏡キャラ『机くん』、「百人一首を知らない」「部活なんて暑苦しくて無駄だと思ってる」「団体行動は苦手」「周囲への劣等感」を具現化させたキャラで、感情移入しまくり。彼の、いわゆる”オタク”と呼ばれてしまうタイプの人間独特の卑屈な一挙手一投足が理解できてしまう。最初は千早達に冷たい態度をとってるのに目線がどんどん満更でもなくなって温かみを帯びてきてウーンこんな俺でもみんなのためにできることって……そうだあれだ!と一歩間違えば空回りな貢献を試みるところとか、自分のハリボテの実力なんぞでは皆の期待には応えられないと分かった瞬間にカッと恥ずかしくなって全部放り投げて逃げ出してしまいたくなるところとか、そうならないためにいつもは予防線を張って嘲笑すら涼しい顔で受け流(せるように努力)しているのに、いざイベント事で頼られたら悪態を吐きながらも頑張ってしまうところとかね。思い出したくない記憶が重なって辛いけど、その分だけ愛しさがこみ上げる。

「青春全部かけてから言いなさい」

千早達にとっての師匠である原田先生が、「青春全部かけたって俺はあいつに勝てない」と諦めたようにつぶやく太一に返すセリフ、

(青春全部)かけてから言いなさい。

予告の時点で言葉としての強さにビビッと来てたけど、それまでのストーリーを追ってから聞くと時計が一気に巻き戻るみたいな衝撃が来る。太一の心の闇を払うための唯一の希望なのだよね、「とにかくやり続ける」ってことが。これ、とても汎用的な名言なので、実生活で「どうせ無理だよね」って目をそらしてしまいそうになってしまった時にぜひ反芻したい……。

音楽

音楽での静と動のコントラストが上手で、鳴ってほしい/ほしくないところでちゃんと鳴っている/いない。千早のカルタ集中タイムには、カルタに集中しすぎて、人声は無視、物音しか聞こえない、という表現。劇場全体がシーン……ってなって固唾を呑んで千早を見守っていた。
BGMの種類自体は少ないと思うのに、使い方のおかげで飽きずに楽しめた。切ない場面でかかるやつが好きだったのでサントラほしいなぁ。

アニメーション

百人一首の札の情景の説明でアニメーションが使われていて、個人的には実写映画に非実写要素を混ぜられると、どうしても違和感が出ちゃうよなぁと常々思っていたのだけど、今作ではむしろ華やかさをもたらしてくれていて既成概念がぶち壊されて感動。特にオープニングがね、めまぐるしくて目が離せなかったし、ずっと観ていたかった。デジタルでレトロを表現することについての傑作アニメーションで花丸あげたい。(と思ってよくよく調べてみたらファンタジスタ歌磨呂さんがアニメーションディレクターを担当していてギョエーこれが噂の!)

物語の完成度

物語に論理としての齟齬がないので安心して観ていられた。千早の好きな『新(あらた)』の、覇者の余裕と器量の深さと、存在感を誇張されすぎもせず静かに遠くにいてくれてるんだよって感じで、そりゃ千早はこれ好きになるだろうなぁ/太一も嫉妬するよなぁって納得できるし、千早や太一はカルタの実力があるはずなのになんで苦戦してしまうの?という疑問とそれに対する答えがちゃんと用意されていて、その解決策にも頷ける。全体の軸もぶれていなくて、とどのつまり机くんと太一が救済される作品だ。前後編の前編にあたるわけだけど、今作だけで完結していた。観終わった後にはすがすがしく「さて早く後編(『ちはやふる 下の句』)を観たいね!」と言える。

敵キャラ

北央高校の二人がとても愛らしい。ドSの須藤と、若いころの清竜人に似てるなって感じのやつ。特に後者の方のセリフがいちいちおもしろくてずるかった。

最後に

広瀬すずの演技がわざとらしかったり(特に太一におんぶされてる時)、千早・新・太一の幼少期の雪合戦のシーンがお涙頂戴すぎて冷めたりもしたけど、怒涛の勢いで引き込まれて感動させられて、邦画って悪くないなって思えるし、競技中の気持ちよさなんて何回でも観たい。もし原作を読んだうえで臨んでいたら、ネガティブな評価を下していたのかもしれないなぁとは思う。原作を読み済みな人と、この映画について語り合ってみたい。

愛が偽善的で自虐的だった僕らの心をすっかり変えてしまったよね

ビルボードライブ東京でAl McKay Allstarsのライブ観てきた。アル・マッケイ・オールスターズと読みます。アル・マッケイ=元Earth, Wind & Fireのギタリスト、が愉快な仲間たちと共にEWFのコピーバンドとして活動しているグループ。アル・マッケイさん、EWF戻ってギター弾いたらいいのでは?と思うけど、風の噂では本家がサウンド面を追求する一方、アル・マッケイ・オールスターズはグルーヴ面を追求しているとかなんとか。でも本家EWFの生演奏聴いたことないからどうとも比較できない。サウンド面とグルーヴ面ってどう違うのかもわからない。

大好きなSeptemberを生で聴きたくて聴きにいって結果マジ泣きしてしまった。周りめちゃくちゃ踊ってるのに私だけひぐひぐ泣いてた。フロアを見渡しながら、きっと80年代の、EWFが大ヒットしたあのディスコブームってやつを実体験してきた年配のお客さんもいるんだろうなぁと羨ましく思ったり、平日の夜だし仕事で疲れた人もいるだろうに音楽は万人に等しく笑顔のチャンスを与えてくれるなぁと感慨深かったり。

この世界の一人一人になんらかの大事な意味を持つ"9月21日"が存在するはずだから、Septemberという曲の持つ魔法はいつまでも消えることがない。それは例えば、家族や友人や恋人と心が通じ合えた日とか、子供が産まれた日とか、それとも家への帰り道に偶然目に留まった夕日がりんご飴みたいにおいしそうだった日とか、初めてチョコボールの金のエンゼルを引いた日とか、どんなに他人から見ればくだらない理由だったとしても本人には絶対的に価値のあるその日を讃えるために、"バーディヤ"のあのリズムで、数えきれないくらいの何本もの手が空にかざされるのだ。モーリス・ホワイトが死んでしまった後のこれからの時代にも。

モーリス・ホワイト本人がいるわけじゃないし……って渋ってたけど観に行ってよかったなあ。アル・マッケイ・オールスターズのステージ、文句なしに楽しかった。

君は覚えてるかな、9月21日の夜のこと。

モーリス・ホワイトが死んだ。

療養中なのを知っていながらもいつか彼の立つEarth, Wind & Fireのステージを観たいと淡い期待を抱いていたので悲しいけど、悲しさよりも今は「なんで私はモーリスが元気な時代に間に合うようにもっと早く生まれてこなかったんだよ」という自分への理不尽な怒りの方が大きい。エリザベス・キューブラー・ロスの死の受容のプロセスでいうと(自分の死についてのプロセスだろうけど他人の死に対しても適用できると思うんだよな)第二段階。おそらく第三段階の「取引」は私にとって2月の末に行われるアルマッケイ・オールスターズのライブで彼らの中にモーリスの影を探すこと、で、やっぱりここにモーリスはいないもんなあって第四段階を過ごして第五段階に移るはず。


ジャズマン菊池成孔Earth, Wind & FireのSeptemberについて語った時の数分間がクールなことこの上なくて時々狂ったようにリピートする期間がある。


菊地成孔の粋な夜電波-2011年09月18日-最後の曲紹介から

えー、特にこの歌詞の中で、…あのなんつったらいいんですかね…祈りのように何度も繰り返される「Ba de ya」という言葉の意味は何なのかは、長い間ファンの間で取り沙汰されてきました。アラブ首長国連邦のアルフジャイラという海岸線上の国にある、世界最古のモスク・バディアモスクというのがあるんですけど、そのイスラム人ですね、その名前だという説。伝説の魔法使いの託宣であるという説。メンバーの娘の名前であるという説、などなど…。え、しかし最も有力な説は、現在ですね、研究家の間では「単なる衝動的なかけ声だろう」というもので、アタシもそれが最も素晴らしいと思います。

菊地成孔の粋な夜電波-2011年09月18日-最後の曲紹介から - YouTube

満場一致で「そうだよね!」って拍手できるこの説明の後に歌詞の和訳が朗読される流れにはもう耳を傾けるしかなくない?

胸がドキドキして 夜通しダンスを踊っているうちに
ふたりの魂は いつのまにか同じキーで歌っていたよね

菊地成孔の粋な夜電波-2011年09月18日-最後の曲紹介から - YouTube

胸がドキドキするたびに菊池成孔さんが朗読するテンポそのままにこのフレーズを思い出してニヤニヤしてしまう。人間の胸って本当にドキドキするものなのよ。

宇宙の宝石箱のような輝きを放つこの素晴らしい曲を、
9月に耐え難いトラウマを持っているすべてのアメリカ人、
そして、この番組をお聞きの、今年の9月を生きるすべての国籍の、
今年の9月を生きるすべての人々…
希望に満ちているであろう、あのジャズバーの学生たち…
懲役太郎さんにも、中山千夏さんにも、
すべての人々に捧げて今週はお別れしたいと思います。

菊地成孔の粋な夜電波-2011年09月18日-最後の曲紹介から - YouTube


私が初めてSeptemberを聴いたのは2002年、9歳の頃で、菊池成孔さんみたいにクラブで流れてきた~~~~な~んてドラマチックに言いたかったけどそんなことはなくテレビドラマ『続・平成夫婦茶碗』のエンディングテーマとしてだった。


september 続・平成夫婦茶碗 ED

9歳の頃なんて自我あったのか?って思うくらいだけど、町の人々が踊ってるのが楽しくて、ドラマの内容はまったく覚えてないけどエンディングの時にはじっと画面を見つめていた記憶がある。


上京してラジオを聞き始めたころ、TOKYO FMの番組『アポロン』だったかなあ、と思って調べたら2015年2月19日でほぼちょうど1年前、その日のメッセージテーマが『年下の人に聞いてもらいたい1曲』だったから迷わずSeptemberを挙げたメッセージを送ったら読まれて嬉しかった。「なにかハッピーな出来事があった時に聞くべき曲っていうのを人間誰しも持っておいたほうがいいと思うのでぜひ年下の人に~」みたいなこと書いたらパーソナリティの斎藤美絵さんが「この子22歳でこんなメッセージなの!?どうしたの何があったの!?」って笑ってくれてウワーラジオサイコーって思いました。いろいろあったんだよ22歳。


Septemberは、聴けば人種も政治も宗教も関係がなくなって万人が身体を揺らして手を取り合ってしまうような魔法みたいな曲だから、ここで私がこの曲の素晴らしさを語ることは野暮アンド野暮アンド野暮アンド……って感じに思えるのでもう何も言えない。とにかく私はこの曲がかかる空間で死んでいきたい。歌い出し"Do you remember?"で人生のうちのハッピーだったことだけを一つ残らずバッと思い出して目を閉じたい。本当はお母さんの膣から出てくる瞬間にも聴いていられたらよかった。あらゆるハッピーな場面で、砂漠でもジャングルでも岩の上でも池の中でも地球上のどこにいたとしても構わずにこの曲がその空間に響くべきだと本気で思っているのだ。

Ba de ya 完璧な素直な気分で
Ba de ya 金色の輝いた日々

菊地成孔の粋な夜電波-2011年09月18日-最後の曲紹介から - YouTube

もし最後にSeptemberがかかるなら、その物語はハッピーエンドだと言い切ってしまえるようになる。例えば映画『ナイトミュージアム』のエンディングの多幸感たるや……。私の人生についても、いろいろ悲しいことはもちろんあったけど、Septemberを聴きながら死んでいけるならきっとハッピーエンドでしょう?